21世紀へのコミュティづくり
―町の賑わいは私たちがつくる―
大垣 浩志(徳島県貞光町企画商工課)
●二層うだつの町
貞光町は、徳島県の西北部、吉野川中流域南岸に位置し、県都徳島市から西へ約50kmのところにあり、音野川に注ぐ貞光川沿いに形成された面積45.40k?、人口約6,200人の小さな町です。
本町は、安徳天皇の剣を山中に隠したという言い伝えから付いたとされる西日本第二の高峰剣山(つるぎさん(1955m))への登山口として知られていて、又、古来古代阿波の国を開いたとされる忌部氏が朝廷ヘ献上すべく木綿(ゆう)と麻(ま)を栽培したとの言い伝えから古くは木締麻(ゆうま)の里又は定満(さだみつ)と呼ばれていました。
そのため、古くから商業と交通の要衡として栄え、北町から南町ヘと続く通りには古い町並みが今も残っています。その往時の繁栄を物語るのが、商家の屋根に立つ「うだつ」です。これは町屋の妻壁の横に張り出した袖壁のことで火よけ壁とも呼ばれており、本来防火対策のために造られたのですが、当時の家々では競ってこのうだつを上げ、商売と家運の隆盛を図ったと言われています。「うだつが上がらない」という言葉は、転じて「いつまでもぐずぐずして成長、発展がない」と言う意味で使われています。貞光町のうだつは、二層になっていて前面に家の幸福を願う精密なこて絵がほどこされているのが特徴です。
●過疎化と活動の現状
その繁栄も長くは続かず、戦後の高度成長期のあおりを受けて若年者の流出が相次ぎ、昭和22年をピークに12,000人を超えた人口は現在半減し、さらに高齢化も進み高齢者比率は約30%となっています。町では若者の定住を図るために企業誘致や定住住宅の整備を進めていますが、大きな効果が得られず、際立った産業もなく大部分が山林である本町にとっては、今後も過疎化の道をたどることは免れないものと思います。町内には行政区域が68地区あって、地域の維持が困難と言われている15世帯以下の地区が13地区あり、そのうちには4世帯と5世帯の地区も含まれています。このような状況や価値観の多様化で、地域の伝統的な習わしや祭りも維持することが難しく