えよう。これは、前回の研究の中で試験に供した船型の中から比較的楔形に近い船首形状である、D船首を基本として本船の船首が設計されていることによろう。
(c)船首部におけるスプレーの発生
荒天・寒冷海域を航行する船舶には時に着氷による問題が発生する。船体への着氷は暴露部に置かれた諸機器及び甲板の凍結による作業性の低下をもたらすばかりではなく、着氷量が多い場合には船体の復元性を危うくする場合もある。船体着氷のメカニズムとしては、霧等の空気中を浮遊する微小な氷核・水滴の集積によるatmosphelic icingと、波浪中において船首部から発生する海水のスプレーに起因するspray icingとが考えられる。前者は航空機、電線等への着氷現象における一般的な着氷メカニズムであるが、後者は船舶特有の着氷メカニズムである。船首部スプレーによる船体着氷のシナリオとしては、打ち込まれた海水が甲板上を流れ過ぎるうちにその一部が凍結する現象と空中においてスプレー本体から剥離した飛沫が船体上に着氷する現象とが考えられる。両者を比較すると、船体上へ持ち込まれる海水量としては前者が圧倒的に多いが、後者の場合は飛沫が凍結あるいは過冷却状態にまで空中で冷却される可能性を考えると着氷の効率は高い。
船体着氷の程度に対する指標として、水槽実験結果から船首部で発生するスプレー高さを計測した。この計測は模型船前面撮影したVTR画像をもとにして行ったものであり、船体中心線上におけるスプレーの船体に対する最高到達位置を20波について計測し、その平均値をもって計測データとした。計測結果を図3.5に、データの詳細は表33に示す。なお、この計測においても実験毎の波高の偏差影響を上記(a)の船首部運動速度の計算と同様の手法で補正している。図中のΖRAはスプレーの相対最高到達位置であり、これと乾舷高さΗFの比をdeck top位置を基準として示した。また、本研究の段階ではbulwark高さ等についての詳細は決定されていないが、図中にはこれに対する参考データとして、deck top位置から1及び2mの高さを示した。図より、巡航速度において航行する場合は、長波長領域を除き、船首部乾舷を超える高さにまでスプレーが達することが判る。また、巡航速度よりも低速での航行でもスプレーの高さが乾舷高さを超える場合があり、ピーク領域での高さは一般的なbulwark高さを充分に超える位置にまで達する。このような場合、気温及び相対風向・風速によってはかなりの量の船体着氷が発生する可能性があろう。
今回の水槽実験により得られた情報は、あくまで船体上への海水の流入量に対する指針であり、これを実際の着氷量の推定に結びつけるためには船首部のスプレーによる打ち込み水及び飛沫に起因する船体着氷の発生・成長メカニズムに対する充分な理解が必要である。しかしながら、航空機あるいは陸上構造物に対する着氷現象に比較して、現状では船体着氷に対する研究は充分なものがあるとは言えない。これは、これまでは荒天・寒冷海域における船舶の航行量が限られ、船体着氷が問題となるような事例の発生が少なかったことに理由があろう。しかしながら、サハリンをはじめとするロシア極東地域における各種開発の活発化、北方四島近海における漁業規制の緩和等の流れを考えるとき、オホーツク海における海上交通量は近い将来飛躍的に伸びることが予想される。このような状況の変化は船体着氷に対する研究需要を喚起し、その研究により得られた知見は本船のような北極海航路における航行を想定した船舶の設計に反映されるものと考える。