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だ。市場経済の信奉者も、こうなれば喜んで市場の改造と利用を相談できる。

別の話だが、学生時代のグループの同窓会に出たところ、定年で会社を辞めてボランティア活動に参加している人が十数人中二人いた。今回の会議への参加体験と併せて、フィランソロピーやボランティア活動が私たちの生活に浸透してきたことをづくづくと感じた。

FORUM Em. Bridgeの最終テーマはフィランソロピーである。それが日本社会において定着するための基本である「個人のあり方」について、会議では討論が繰り返されてきた。個人の自発性を妨げるものとしては、昔ならば天皇制や前衛政党が問題とされた。今問題点として挙げられるのは、政府の規制、官僚制の文化、機械文明、企業の上下組織や系列関係、市場の過当な競争、それによる商業主義の圧力といったところだろう。それらの圧力すべてについて、ここで詳しく評することは出来ない。しかし明るい兆候がないでもない。たとえば機械文明は情報文明にとって代わられようとしており、二〇世紀大企業の巨大階層組織も、より柔軟で分散的なネットワークに置き換えられようとしている。そのネットワークは国際的にも広がっていく。政府や企業から独立位を保つ組織が社会にネットワーク的に広がることは、自由な個人にとって棲息領域が拡大されることに通じる希望があるだろう。

個人の自由な発想とイニシアチブが、市場経済の運営にとっても必要なことが明確になっている。私たちは、第二次大戦を止められなかった親の世代を批判しないではいられなかった。しかし私たちの世代もバブルを止められなかったし、バブルが破裂してから後何年もその処理を進められなかった。それはちょうど中国大陸に侵入した日本の軍隊が、甘い予想に裏切られても撤退できないでいた姿を彷彿とさせる。

個人の自由な発想とイニシアチブはこれからの技術革新にも必要だ。戦後日本はチームワークによる生産性向上を誇ってきた。そしてその成果は偉大ではあったが、もう一段の発展には真の創意と大胆な試行がどうしても必要だ。ということは、卑俗な経済屋である私などにもボランティアを生み出す社会の大切さが実感されてきたということだ。そのことを、経済とは逆の面から私に教えてくれたのがこの会議であった。会議でのやりとりを聞きながら、私はつい日頃の職業に関わる心配事に思いを馳せがちだったけれども。

従来の日本の個人が教養人に淫したり、組織人に埋没しがちであったとすれば、これからの日本人はもっと厳しいプロフェッショナリズムを身につけ、その一方でもっと自由なボランティアリズムに身を委ねるべきではないだろうか。それが政治・行政・経済の閉塞打破のためにも、また生活充実や国際化の面からも、そして非営利活動や市民活動やフィランソロピーの発展のためにも求められている。そのような感想を抱いて、私は鎌倉の会場を後にした。

 

 

 

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