はじめに
二回目を迎えるFORUM Em. Bridgeのテーマは「日本社会における個人」でした。本フォーラムは、日本のフィランソロピーの道しるべをあきらかにすることを趣旨としておりますが、ここで「個」に着目した理由を確認したいと思います。
フィランソロピーという言葉を日本語でいえば、「公益活動」という文字が浮かびますが、この「公益」の意味を考えてみると、特に法律的な、いわゆる公的見解では「不特定多数の人に対する便益」でないと公益とは言わないようです。
私はこの認識に対してかねてから疑問を抱いてきました。私の認識では、このような公的概念はひろい意味での政府による活動、すなわち財源がすべて税金によって支えられている場合には明らかにその通りですが、民間の財団等による社会貢献活動のように、その財源が税金とは一切関係のない随意、自由な財源である場合には、その意味は明確に区別されるべきだと思います。随意財源による活動の場合は、必ずしも不特定多数の人に対する活動である必要はなく、より限定された、特定多数の人に対する活動であっても何ら差し支えない筈です。すなわち「公益」という言葉は、政府の場合には不特定多数を対象とするときにのみ使われますが、NPOの場合には、特定多数の人に対する活動でも使用されるべきであり、その活動が公益活動であることが認められなければならないと考えます。
そして、その場合に重要なことは、対象の選択にあたってはそれぞれのNPOは自らの個性を明確に持っていなければなりません。「FORUM Em. Bridge '97のねらい」にも通じますが、各人の「個」の確立がフィランソロピー実践の基本になると同時に、個人の意志を組織化したNPOもまた「個」を確立し、自らの意志と責任感のもとに行動することが重要です。
私たちがFORUM Em. Bridge '97において、昨年の「公と私」の議論に続き「個」に着目し、イギリスからイアン・H・ニッシュ氏を、日本からは河合隼雄氏を昭へいして、日本人の自己認識のあり方にメスを入れ、討論を深めたゆえんは、以上の見地によります。そして、この私たちの姿勢が来年のFORUM Em. Bridge '98において何らかの結論へ旬かうよう願っております。
本フォーラムの結果の一部は、上記両講演者の論文及び加藤秀俊議長の書き下ろし論文として、昨年同様TBSブリタニカのアステイオン夏号に掲載されております。また本報告書は、こうした論文と香西泰、樋口廣太郎、上野繁樹、星野昌子各世話人の論評等と会議録に加え、参加者からの意見もお寄せいただき、一層質を高める努力を致しました。
最後に、イアン・H・エッシュ氏と河合隼雄氏、この会議を有意義な討論の場にしてくださった世話人並びにご参加各位に対して厚くお礼申し上げます。そして本フォーラムの開催にあたり、日本財団のご協力を得たことを付記させていただきます。
FORUM Em. Bridge '97代表世話人
林 雄二郎