考察
葛生町は北部山間地域,南部市街地域,その狭間に位置する中間地域に分けられる。市街地域は関東平野の一角を占め,住宅が密集しその地理的同一性のために地区間の差異を見いだし難く思われる地域である。中間地域は住宅密集の規模に於いて,また地形的に他の2地域と区別される。山間地域は南部の平野から続く平地であり,三方を山並みに囲まれた文字通り山と山の間の地域である。このような地形が葛生町の北部に大小二箇所存在し,その各々に集落が散在し,集落毎に地区名があてがわれている。山間地域の人々は狭い田畑を耕作し,或いは特産の蕎麦を栽培する傍ら近隣の市町へ通勤する兼業農家としてまた地元の石灰・ドロマイト生産,砕石等の鉱業及び運搬業の勤務者としてその多くが生計を立てている。一方南部の市街地域では勤労世帯,自営業者の比率が高い。当地は伝統を形骸化する人口の減少,自治を危うくする歳入の不足,没個性的生活様式の波及等の阻害要因にも係わらず,21世紀の日本を先取りする高齢化社会の中で未だ運命共同体的体質を残し,各地区毎に姓を同じくする世帯が寄り集まって多数存在する。特に当診療所の属する北辺の地域はその感が強い。
このような風土,地域の絆,産業構造を経緯とし,浮かび上がる高血圧像とはどのようなものであろうか。予測通り山間地域の人々の血圧は市外地域のそれに比べ高かったが,地区の平均血圧と年齢の間に正の相関が認められた3)。そこで年代別にみてみると,この相関の認められなかった60代を対象にした場合でも,山間地域は市街地域より血圧の高い地区が多く,結局山間地域ほどの年代層であれ,その血圧が市街地域より高いことは有っても低いことはなかったのである。
血圧の高い地区では,血清総コレステロール値,血清中性脂肪値が共に相対的に高く,それらの数値の低いことで知られる農村型高血圧よりもむしろ都市型高血圧に近い像を呈していた。既に都市型高血圧の背景因子として高コレステロール血症,肥満,運動不足,動物性食品の過剰摂取,ストレス等が挙げられている4)。
しかしこの事実を以て直ちに当地の高血圧像が都市型のそれであると即断することはできない。糖尿病を含む高血糖をこれに加味し考察する時,相対的に,山間地域では高血圧の頻度が高くかつ高血糖の頻度が低く,逆に市街地域では高血糖の頻度が高くかつ高血圧の頻度が低かったからであり,また糖尿病は肥満に伴って発症することが多く5),延いては飽食,運動不足等都市型高血圧と共通の誘因を有しているからである。これを要するに葛生町に於ける高血圧は都市型と農村型の混交型と見なすことができる。
また建材業の人々の血圧が高いという結果は,自動車の運転を業務とする人々一般の血圧が高い事実に符合し,その原因は喫煙,一酸化炭素の影響,運転業務に伴う精神的,肉体的ストレス等に帰せられている6)。他方自ら蕎麦を打ち蕎麦を食べる機会の多い蕎麦センター職員の血圧は,蕎麦を常食とするネパールのタカリ族同様に低かった7)。この蕎麦の効用は,その中に含まれる多量のカリウムが体内に於いてナトリウムを排泄させることに因る。
更に今回の研究結果に従えば,血圧レベルの高い地区では高血圧になる率も高く,血圧レベルの低い地区では高血圧になる率も低いのであり,一方,臓器異常は高血圧に伴って一定の率で出現し,この臓器異常が高血圧者の寿命を縮めることを勘案するならば,本研究の結果は重要な意味を帯びる。即ち高血圧関連疾患の予防の為には,地域全体の血圧レベルを下げるに如くは無しとする結論へ導くからである。
とはいえ高血圧者の治療はけして軽視されるべきものではない。現に血圧の高い地区では高血圧者の中に占める高血圧被治療者の割合も低かったからである。今回の対象者の中に高血圧重症度分類,臓器障害度分類のいずれに於いても最重症のIV度に相当する人々が皆無であった事実は,これらの人々が既に医療機関に通院中であり,当然予防手段も講じられているものとの認識を有しているか,若しくは集団検診は比較的軽症の疾病を有する人々又は健康に危惧を抱く人々の為にあるとみなす通念に因るものであろう。
最後に,日常生活に於いて卑近な血圧関連因子の中,降圧作用を有するのはカリウム7)とカルシウム8)の摂取及び運動の慣行で有り,逆に血圧を高めるのは食塩9)或いは動物性高脂肪食品4)の過剰摂取,多量飲酒8)の習癖,肥満10),ストレス11),等で有る。この場合血圧の高い建材業の人々は無論のこと,全ての葛生町民にとって留意すべきことは栄養のバランスに対する配慮,ストレスの発散,折々の安らぎ,程よい飲酒,肥満の是正,運動の実践及び蕎麦の活用等であり,吾人の健康と長寿は正に日々の生活の中にあるといえる。