いて雇用を創出することや観光客に環境教育の機会を提供するというような間接的に自然の保全につながる行為を含むのかどうか、あるいは参加する観光客の姿勢を規定するのかどうかなどについては、議論が大きく分かれている注26。
これらの様々な定義の整理に有用なのは、Miller and Kaaeの「エコツーリズムの範例の連続体(The continuum of ecotourism paradigms)」とBuckleyの「エコツーリズムの枠組み(Ecotourism Framework)」という捉え方である。
Miller and Kaaeが考案した「連続体」はOramsによって詳しく紹介されている注27。この「連続体」の一方の極にはエコツーリズムは不可能であるという見方があり、もう一方の極にはすべての観光はエコツーリズムであるとする見方がある。当然これらは極端で非現実的であり、実際にはエコツーリズムの定義はこれらの二つの極の内側にある幅のどこかにあるものと考えられる。さらに、エコツーリズムの定義にしばしば見られる「人間の責任の水準」という要素に関しても同様のことが言える。エコツーリズムは不可能であるとする極では人間の責任を高いものと見なすため、資源を保護するために積極的な貢献を行うことを提案する定義が置かれる。逆に、すべての観光はエコツーリズムであるとする極では人間の責任を低いものと見なすため、ダメージを最小限に抑えることを目指す受動的な定義が置かれる。すなわち、この「連続体」とは、これを用いれば既存のエコツーリズムの定義はすべてどこかに位置づけられるというものである(図1)。
一方、Buckleyは、観光と環境との関係の結びつきを商品と市場、管理、金銭、人間ととらえ、各々に対応する観光内部の小部門として、自然に基づいた観光、持続的に管理された観光、保全を支援する観光、環境教育のための観光の4つを挙げている(図2)。そしてこれらの小部門の組み合わせをエコツーリズムの一つの「枠組み」として提示し、それらがすべて重なり合うところを限定的な定義としている。さらに、各々の小部門を説明する要素を分類した表を示し、重なる場合もあるが異なる要素も含む、とじている注28。
これらを組み合わせることにより、エコツーリズムという用語に対する多様な定義を次のように整理することができよう。まず、それらはすべてある「幅」の中に存在し、その「幅」の中での位置の違いはそれぞれが重視する要素に関して要求している水準が異なるということを反映したためである。さらに、「幅」の中にはあるが水準が異なるものに対して一括して「エコツーリズム」という同じ名称を与えようとするならば、例えば「限定的でない規準を用いた定義」を満たした「レベル1のエコツーリズム」から「限定的な規準を用いた定義」を満たした「レベル10のエコツーリズム」までいくつかの段階があると考えればよいだろう。統一的な定義がないという現