第7節 (山口県)東和町
1 町の概要
東和町は大島郡屋代島(通称大島)の東端に位置する。北に安芸灘があって岩国・広島方面に通じ、東は伊予灘を隔てて四国愛媛県があり、松山方面との関係が深い。当町は全体があたかも金魚の形をしている大島のいわば尻尾の部分に当たり、面積は38.66平方キロメートル。有人島の沖家室島(0.94平方キロメートル)、情島(1.11平方キロメートル)の他、大小17の無人島を擁している。
東西に長い地形から海岸線も90キロメートルに及ぶ。これは県下では下関市につぐもので、大小の入江は景勝がひらけている。町域の大部分は山岳、丘陵で占められており、平野郡は少なく、集落は谷筋の適地を求めて形成されて来た。山が浅く土壌が砂質土であるため保水力が弱く、水不足が当町のアキレス腱となっている。
東和町の沿革をみる時興味を惹かれるのが、現在の集落の存在形態にも反映している集落の成立事情である。
当町に点在する集落は谷筋の山手から麓に開かれそれがのちにつながったとみられるものが多い。早いものでは鎌倉期あるいはそれ以前に遡る遺跡があるが、居住が本格化したのは中世末から近世初期にかけてであった。谷筋に見かける五輪塔や宝篋印塔(それらの多くは残欠であるが)は、かつてそこに入植した人々の墓塔と思われ、そのうち直接現在の住民につながるものは「先祖様」、そうでないものは「地主様」と称している。また集落によっては「荒神様」が祀られているが、これもはじめ集落の開発者が祀った神がやがて集落の氏神・鎮守神になったものと考えられている。最初の入植者は用水路を確保した上で谷筋の山手を占居して周辺に田畠を開き、麓や海岸部にのちの人たちが居住したケースが少なくない。そこで山手の集落を「郷」といい、麓の集落を「浜」といいならわして来た。