第5章 ヒアリング調査
第1節 航路事業者ヒアリング調査
航路事業者用
期日:平成9年7月24日
事業所名:甑島商船(株)
?. 航路の概要
1.航路区間 (串木野〜甑島)
当該航路には、フェリーこしき(645総トン)が手打港を基点として平常ダイヤ1日1便、シーホークが串木野港を基点として1日2便就航している。 その他、5月3、4、5日のゴールデンウィークには、シーホークを1日1便増便、夏期多客時には、シーホークを7月21日〜8月20日まで1日1便増便、フェリーを8月12日〜8月14日まで、串木野港を基点として1日1便増便、8月15日〜8月17日は、手打港(長浜港は8月15日のみ)を基点として、1日1便増便して対応している。 また、各村でのイベント開催(大明神マラソン大会及び鹿の子ゆりゲートボール大会等) について、要請があれば臨時運航をすることがある。
2. その他
昭和52年から九州商船(株)と串木野市及び甑島4村との第三セクター方式により設立され、同年5月から甑島商船として営業を開始した。それ以前は、九州商船が経営していた串木野〜甑島航路のほかに、阿久根〜甑島航路の2航路があった。両航路とも使用船を各1隻をもって、島と本土をそれぞれ1日1往復ずつ運航されていたが、両航路とも赤字続きの上、島の人口の流出も手伝って利用頻度が年々低くなり、欠損額が増大、合理化のため阿久根〜甑島航路を廃止し、昭和50年1月8日から現在の串木野〜甑島航路1本に集約された。
当時の使用船は、貨客船柏丸(550総トン)、同有保丸(386総トン)を九州商船から用船し、運航計画は当時そのままを踏襲し、1隻は手打港を、もう1隻は串木野港を基地として運航していた。その後島民の強い要望もあり、昭和55年に東海汽船から高速船「シーホーク」を購入、さらに昭和62年にはフェリー「こしき」(645総トン)を建造したことにより自動車航送が可能となり、島の発展に大きく寄与することとなり、名実ともに自社船として飛躍的な発展を遂げることとなった。 また、「シーホーク」の老朽化に伴い、平成2年3月に第2船「シーホーク」を建造、就航させることにより、収入面においても大きく貢献することとなり現在に至っている。
?. 輸送量の推移と見通し
(旅客) 過去5年間の旅客推移は第?章を参照。
今後の見通しについては、昨年から不定期船2隻(50名乗り、70名乗り)が就航したことによる、釣り客及び一般客の減少や、甑島における大型工事、公共工事の減少、地震の影響による鹿児島への観光客入り込みの減少、また、串木野〜長崎間に本年4月に就航した高速船カーフェリー「シーバード」の影響が合わさって、今期に入り大幅な落ち込みとなっている。
今期の旅客輸送数は192,000人(昨年より10,000人減)の見込みである。
なお、平成10年度以降の見通しは若干減少し190,000人台で推移すると思われる。
(貨物)
今期の貨物輸送量の見通しは100トン増、平成10年度以降は横這いで推移すると思われる。なお、車両航送は今期で14,270台(460台減)と見込んでいる。