■歴史
スラバヤは1270年頃に建設が始まったとの言い伝えがあるが、スラバヤ市議会は1975年に、1293年5月31日を市設立の日と決定した。スラバヤの名はスロ(ふか)とボヨ(ワニ)を合わせたもので、オランダ独立戦争の原動力として「英雄の町」とも呼ばれている。オランダ統治時代から、重要な輸出港湾機能を持った都市として栄えていた。また、ブランタス川とソロ川がつくった肥沃な平野はインドネシアの穀倉地帯となっており、古くから発達した砂糖黍栽培及び精糖産業を柱とする工業の中心地として栄え、今
では東部ジャワのみならず、カリマンタン、スラウェシ、バリ、ヌサトゥンガラの経済発展の要となっている。
■文化
東ジャワ州に住む3,300万人の多くはジャワ人でイスラム教徒である。しかし、その雄大な平原と火山性の山岳地帯は、心優しいマドゥーラの漁師からスムル山やプロモ山周辺に住むヒンドゥー教徒テングル人まで、魅力的で独特な文化をもつ様々な人々の故郷である。
インドネシアで最も広大な王国であったマジャパヒト王朝はプランタス川流域に根をおろし、その後長いことアイルランガ、クディリ、シンゴサリ等の王朝が続いた。ヒンドゥー教、仏教、イスラム教の保護の下、宮廷芸術が栄え、奥地では、ポンノゴロのreog mask danceなど色彩豊かで熱狂的な祭りが見られるようになった。
また、スラバヤ市には伝統的なジャワの文化遺産だけでなく、近代的文化施設も数多い。スラバヤ動物園は東南アジア最大といわれ、国民レクリエーション公園には遊園地や劇場などがあり、憩いを求める多くの市民に親しまれている。