第3章 フランスの家族
1. 近代的家族の誕生
フランスの中世においては、家族は血や名前や財産の継承のために存在し、子だくさんは神の恵みであると考えられていた。キリスト教神学では、産児制限=避妊、男女の婚姻外関係(内縁関係、姦通、近親相姦など)、オナンの行為(オナニスムの語源)は罪悪の行為である。キリストによって秘蹟の尊厳まで高められた婚姻は、本質的には姦淫に対するひとつの救済措置であり、婚姻の主要な目的は生殖であって、夫婦相互の幸福は副次的な目的に他ならなかったともいえよう。聖パウロは「情に燃えるよりは結婚する方がよい」と書いている。婚姻関係においても、性行為とともに、そこから必然的に生まれてくる「愛」をどのように規定するかは、古くからカトリシズムのなかで論議の対象となっていたテーマである。
しかし17世紀、18世紀を境として、フランスの男女関係には生殖とは区別される、いわば性愛とも呼ぶべき新しい機能が結晶してくる。赤ん坊を農村の乳母に預ける習慣や都市部の捨て子が乳幼児の死亡率を異常に高くしていたために、人々の間に育てるのに適当な子どもの数という考え方が生まれてきた【注3-1】。18世紀中頃には、哲学者、医師、政治家たちは、母親の役割や母乳育児の必要性について多く語るようになる。啓蒙思想家ルソーは著書『新エロイーズ』(1761年)の中で、始めて母親愛の規範を示した。裕福な家庭では、しだいに乳母を自宅に呼び寄せて子どもの世話をさせるのが一般的になり、近代の家族像ができあがる。19世紀のフランスの作家たちは、これまで未知のものだった宝物を発見したかのように母性をほめ讃える作品を発表した。今日のフランスでいわれる「伝統的な家族」の姿は19世紀に誕生したといえる。
しかしルソーの思想に代表される近代的な家族の規範は、男女の性別をはっきりと分け、男性の統制下におかれた良き妻のモデルを示すものであった。1804年に定められた民法(ナポレオン法典)でも、妻には法的な権利が全く認められていない。子どもたちは、父親が絶大な権力を持つ家庭で、両親には絶対服従の厳しい躾けを受ける。都市部の乳幼児が農村の乳母にあずけられる習慣も1840年頃までは盛んに行われており、戦前のフランスでもまだ里子の風習は残っていた。
ようやく20世紀になってから、女性たちの権利獲得の動きが活発になり、徐々に民法は妻や子どもの権利を守るべく改正されていった。