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ムにおいては、国家権能を授権されない自治体は弱体なものでしかあり得ない。

東欧諸国がロシアよりもより集権的な地方制度を選択した背景としては、第一に、「ロシアの脅威」論と結びついて、「今は分権化よりも国家の存続そのものが大切だ」という国家存続至上主義が主張されたことがあげられる(21)。第二に、多層制自治がソビエト制の暗い記憶を呼び起こすことから、一層制自治の方がより民主的であるという見解が流布していたこと、とくに郡機関一般に対して「共産党の出先」というマイナス・イメージが強く残っていたことがあげられる(22)。

ロシアが連邦制を採用したのに対し、ウクライナが単一主権制を採用した理由としては、第一に、ロシアの方が国土がヨリ広大であることがあげられる。第二に、ウクライナにおける連邦主義は、第一義的には東部地域主義であり、ロシア系住民の民族主義ではない。その点で、民族共和国が連邦化の主な牽引力だったロシアとは異なる。第二に、ロシアの政府間関係が、地方間の正当な利益分配を行なうことを主な正当化根拠として律されているのに対して、ウクライナの民族主義派は、東欧における上述の一部論調と同様、「ウクライナは国家そのものがまだ固まっておらず、ロシアに再び併呑されてしまう恐れすらある。したがって、いまは地方の利害を表出するよりも国民全体が結束すべきときである」と主張する。第四に、本稿の序で述べたように、中央エリートとリージョン・エリートの間の力関係がロシアとは違う(ウクライナでは中央エリートが強すぎる)。第五に、ウクライナの州の面積的・人口的規模は、西にゆくほど小さくなる傾向がある。これは、ソ連時代のモスクワが西部ウクライナの忠誠心を信用せず、そこに強力で自立的な州指導者が育つのを阻もうとしたからである(この狙いは的中し、西部諸州は恒常的な人材難に苦しんだし、こんにちも苦しんでいる)。ところが、まさにこの西部細分政策のため、まんいちウクライナが連邦制に移行した場合、各州から代表が同数派遣される議会上院において西部の影響力が過大代表されてしまう恐れが生まれた。これを見越した連邦制派、すなわち東部と左翼諸派が腰砕けになってしまったため、連邦制要求は沈静化したのである(23)。

ここではロシアとウクライナの間の差異を強調したが、ウクライナにおいても1996年憲法の準備過程において連邦制を求める提案が多く出された(24)こと、こんにちのロシアの連邦制は、民族共和国とロシア人州とを一応平等な連邦構成主体とするもので(25)、その点でかつてのソ連やロシア共和国のような民族原理に基づく非対称的連邦よりは求心性が強くなっていることを銘記しなければならない。「ロシアは集権的連邦制、ウクライナは分権的単一主権制」などと冗談混じりに言われることもある。

ウクライナが(ロシアと違って)地区を国家機関化してしまった理由としては、

 

 

 

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