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ェンコは、モスクワ市のルシュコーフ、ニジェゴロド州のネムツォフ、スヴエルドロフスク州のロッセリなどと並んで、全国最強の知事の一人である。つまり、ロシアのほかの「強い知事」たちの要件が、リージョンレベルのエリートの自治領域の獲得とリージョンの名声の全国化・国際化との結合であるとすれば、ナズドラチェンコはクライ政治を全国政治に直結し、同時にクライで起こる諸事件を世界的なマスコミ、インターネットに乗せて、自己の権力を増大させてきたのである。こうした政治手法を用いる知事が、大統領周辺の力関係が変わっただけで窮地に立たされたのもやむを得ぬことであった。逆に言えば、1996年以来の連邦権力のナズドラチェンコへの強硬姿勢がほかのリージョンへも拡大される可能性はほとんどない。

概して、ロシアのリージョン権威主義体制の特徴は、モスクワから奪われた権限が市・地区レベルに委譲されずリージョンのレベルに集中することだが、沿海地方はその極端な例をなす。1995年以降、クライでは議会も成立し、法令も整備されてきたのに、市・地区レベルでは議会も憲章もなく、制度建設が極端に遅れているからである。大都市の市区をどうするかといった問題は、ほかのリージョンではとっくの昔に解決済みの問題である。ナズドラチェンコの国家観は、市・地区を自治体ではなくクライ権力の下部機構とみなすものであるから、今後も自治体の苦難は続くだろう。もちろん、その根底には、ウラジオストク市とナホトカ市以外は財政的に全く自立できないというクライの産業構造の問題がある。

本稿は、親分・子分関係によって展開されてきた沿海地方政治にも、政党制の発達や権力分立の萌芽に代表される近代化の兆しがあることを示した。ウラヂーミル・ゲリマンは、地方政党制が定着する要件として、?エリート内部に対立が存在すること、?エリートが対立を(官僚内陰謀やモスクワへの陳情によってではなく)選挙によって解決する志向を有していること、?選挙が政党選挙の形態をとること、?選挙で勝った側が負けた側を圧殺しない(できない)こと、を挙げた(109)。現在の沿海地方では、?以外の条件はほぼ整っている。面白いのは、こうした条件がナズドラチェンコ独裁期(1994-1996)に社会の深部で整えられていたことである。その点では、ナズドラチェンコ独裁の終焉は、権威主義体制が発展的に解消した好例をなしているかもしれない。ただ、前述の通り、制度の自律性が敬われない社会では、独裁の崩壊後、法治主義的な民主政治が成立する可能性はほとんどないだろう。

(松里 公孝/北海道大学スラブ研究センター助教授)

 

 

 

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