連邦構成主体=広域行政単位の一種としての「クライ」(沿海地方もそのひとつ)の四つが考えられるのである。本稿では、?、?の意味では、混乱を招きかねない「地方」という日本語は用いず、?には「リージョン」、?には「クライ」をあてることにしたい(たとえば、「リージョン政治」「リージョン権力」「クライ党委員会」「クライ議会」などと書くことにする)。本稿のテーマである沿海地方については、「沿海地方」もしくは単に「クライ」と書くことにする。
(2) 先行研究と資料
ロシア極東に対する関心を反映して、日本における極東研究の水準は高い。しかも、従来はその経済、地理、民族に偏りがちであった極東への関心が、近年、歴史、政治、法制度などの人文的な側面へも拡大してきた。本稿の課題である極東の政治と地方制度に関しては、1995年以降、藤本和貴夫(大阪大学)が主査となって組織してきた外務省委託研究の成果としての諸業績(9)、小森田秋夫(東京大学)の諸論文(10)、荒井信雄とアンドレイ・ベロフ(北海道地域総合研究所)によるサハリン地方財政制度の研究(11)が重要な先行研究としてあげられる。この中でもとくに、ナズドラチェンコ体制誕生の過程を迫力をもって描いた1994年の小森田論文はいまも輝きを失っていないし、荒井とベロフの研究は精密かつ網羅的なものとして特筆さるべきである。
露語資料としては、文部省科学研究費補助金重点領域研究「スラブ・ユーラシアの変動」(平成7-9年度、皆川修吾代表)の一環として、沿海地方のエリートのビオグラフィーを収集した『沿海地方における政治的エリート』が出版されている。この資料集は優れたものだが、サンプルの選択がやや恣意的である。そもそも誰をもって政治的エリートとみなすかという基準が示されておらず、なぜか裁判官のビオグラフィーが大量に含まれていたりする。また、この資料集は1995年12月に出版されたが、過度の同時代性がかえって仇となっている。たとえば、前年1月に解任されたばかりの大統領全権代表ブートフ、前知事クズネツォフ、「パクト」(クライの企業経営者層を結集した組織;後述)創設の立役者パブロフなどのビオグラフィーが含まれていないのは不便である。また、1990年から93年にかけてウラジオストク市ソビエト議長だったセルゲイ・ソロヴィヨフのビオグラフィーも欠けているが、彼は、十月事件後およそ4年間の充電期間を経た1997年12月、第2期沿海地方議会議長候補(しかもチェレプコーフ市長側の候補)として華々しくリバイバルしたのだから、やはり過去5年以内に失脚した人間には復活のチャンスが十分あることを意識して、伝記集は作成すべきだろう。
本稿は、極東政治に関して上述のような研究の蓄積があることを前提として、