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極東における民間外交は以前から活発であり、日本の多くの自治体が極東の自治体と提携関係を結んでいる(4)。日本人と日本商品が現地において好意的に受けとめられていることも事実である。総じて、極東を舞台とした日露関係の今後の見通しは明るいと言える。ところが、沿海地方に限っては、経済協力も含む日露関係の発展を阻んでいる隘路が存在する。それは、地方政治の不安定性である。日本のマスコミも、沿海地方における政治絡みの銃撃沙汰、知事の強引な政治姿勢、汚職腐敗、中央との無謀な対立の結果としてのエネルギー危機などをしばしば報道している。そこで、本稿は、沿海地方とそれに属するウラジオストク市、ナホトカ市を対象としながら、このような独特の地方政治の個性が形成された過程を考察したい。沿海地方の自治体の中で上記2市が選ばれたのは、両市が日本に姉妹都市を有しているからである。

本稿のもうひとつの課題は、1996年以降の沿海地方政治の変化が、今後、ロシアのほかのリージョンにも波及しうるものかどうかを考察することである。1996年大統領選挙の結果、連邦政府内におけるアナトーリー・チュバイスの地位が上昇した。チュバイスは1998年当時よりナズドラチェンコ沿海地方知事と犬猿の仲だったので、前者の地位上昇は必然的に後者の地位を危うくした(図表1参照)。ここで注目すべきなのは、中央の反ナズドラチェンコ勢力がナズドラチェンコを攻撃するにあたって、ウラジオストク市長と大統領全権代表という二つの機関を利用していることである。具体的には、?ナズドラチェンコと対立して1994年3月に解任されていた元ウラジオストク市長のヴィクトル・チェレプコーフが1996年9月24日付大統領布告によって2年半ぶりに復職した。?大統領全権代表としては、ナズドラチェンコのイエスマンであったウラジーミル・イグナチェンコが1997年5月に解任され、それに替わって、連邦保安庁(FSB:これはKGBの後継機関である)沿海地方局長のヴィクトル・コンドラートフが現職を保持したまま任命された。

知事の権力が強大化するのを防ぐために、当該リージョンの中心市の市長と大統領全権代表とをカウンターバランスとして利用する分割統治的リージョン政策は、1992、93年頃に大統領府がしばしば採用したものである。 しかし、1994年以降は、まず第一に、知事と対決したこれら市長が、「最も騒々しいウラジオストク市長の冤罪による逮捕.…から、最も悲劇的なサラトフ市長キトフの…自殺(他殺?)に至るまで」(5)悉く敗北してしまったことから、第二に、(より本質的なことだが)大統領派が地方エリートとの妥協姿勢を強めたことから、分割統治政策は放棄された。大統領全権代表は当該リージョンの知事の腹心の部下の中から任命されるようになり、「中央のお目付役」という意味は失った(6)。1996年大統領選

 

 

 

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