実施に至る背景
1978年、無認可団体「若駒の家」発足以来八王子を中心に「全身性重度障害者も、当たり前の人間として地域で生きる」ことをテーマに様々な活動を統けてきた。福祉活動の実践を通して、わが国における福祉の動きの悪さや、マイナスイメージの定着と視野の狭さ等々、感じるところが多かった。
常に新たな試みにチャレンジし続ける中で、見えてくるのは福祉の現状が【福祉の構造】というよりは【日本の社会構造】や【国民的意識構造】そのものに起因するという現実であり実感であった。
Joy Projectを始める前に精神障害者通所作業所『パオ』の立ち上げに参加したのも、「当事者自身の縦割り意識構造」に変革を起こしたいと考えたからである。ややもすると行政批判の常套句として「縦割り構造、縦割り意識」が語られるが、これは日本人共通の意識構造であり、障害当事者もその例外ではない。障害当事者も十分差別者であり、障書の種類を越えて日常的に関わりを持とうとはしてこなかった。その結果として肢体障害者は精神障害者を「怖い」と言い、一方で精神障害者は車椅子の人たちを「頭が良いから怖い」と表現するのを聞くに及び、「現実に、日常的に人間関係を持てる場がないからだ」と実感させられた結果である。パオは喫茶店としての機能を中心に、癒しの場であると同時に、いつでも誰でも遊びに来られる場所として、障害種別を越えて『地域で暮らす仲間の出会いの場』であり、絆を強めることをその目的の一つとしている。
パオの運営が軌道に乗り、出会いの場としての試みも一定程度道筋ができたところで、1995年3月、平行してJoy Projectの活動を開始した。
電動車椅子に座ったまま運転できる車の存在は、20数年以前から認識していた。しかし当時はそれ以前に解決しなければならない問題が山積していたので、多くの仲間とともに地域生活の実現に向けて様々な活動を展開し、「街づくり」「公共交通機関のアクセス」「住宅改造」「介助問題」「自立生活」等現実の問題に取り組み続けてきた。
しかしながら50歳を目前にして、ふと自分を振り返ったとき「今脳血管に障害が発生したら、果たして自分は社会参加を続けられるだろうか」と考えた。答えは「現状の日本においては、長期入院、在宅寝たきり、施設収容の3択しかない」である。
社会参加の楽しさ、充実感は決して捨てたくはない。また、現在運転免許を取ることのできない人たちも「車椅子に座ったまま運転できる車や、ジョイスティックコントロールカー」さえあれば社会参加を果たすことができる。20年の時間的ロスは、全身性重度障害者の社会参加を阻んできた。「これ以上座視はできない、今実行しなければ時を失う」と決断するに至った。
1994年アメリカの自立生活センターに問い合わせをし、改造車製作会社の紹介を依頼。回答のあった会社は3社。それぞれに直接パンフレットの送付を依頼するなど、調査を開始した。
前ページ 目次へ 次ページ
|
|