
2. 国際児やインドシナ難民への社会適応援助促進活動
1979年に初めてわが国にベトナム難民が入国したとき、ISSJと総理府とUNHCRは彼らの受入れ方法について検討の上、鎌倉にISS-UNHCR難民センターを試験的に開いた。2か月の試行の上で大和と姫路にインドシナ難民定住促進センターが正式に開所した。ISSJは定住促進センターを退所したインドシナ難民の地域への定住援助を行うために日本各地に大学で社会福祉を学んだ60名のボランティア相談員を組織し、難民の定住に関わる住居、学校、医療間題等の相談や進学、就職の援助を行ってきた。
ISSはさらに、1959年設立と同時に、第二次大戦後に呉市に多く存在した国際児(混血児)救済援助を目的として兵事務所を設置した。同時に広島県在住の有職者とISSJスタッフによるISS国際児対策委員会が組織された。以来今日まで、委員会やボランティアの人々に支えられて国際児やインドシナ難民の子どもたちへの社会適応援助促進活動を継続している。
40年の経験からグループ活動の中でケースワークを行うことが、治療的方法として大きな効果のあることが実証されている。国際児の多くは日本人と結婚しているが、結婚生活の問題や子どもの問題、例えば自分の子どもが外見上日本人と違うことからくるいじめに苦しむこと等で悩み、ISSJの相談指導を受ける者もいる。国際児の年齢が高くなり、夫々に自立はしているものの、心のよりどころとしてのISSJ兵事務所の働きは継続されなければならない。
当該年度は職場での事故で障害を持ったインドシナ難民の人のリハビリテーション、職業訓練・就職相談や、インドシナ戦争当時行方不明になった兄弟捜し等、解決が困難な問題が増えている。東京や神奈川等首都圏で職場が見つからないインドシナ難民の人々は静岡県や千葉県等に範囲を広めて探している。日本各地のISSJ難民定住相談員はそうした人々の相談援助を積極的に行なってきた。さらに母国や中国等アジアで探した結婚相手を呼び寄せるための手続きの相談も寄せられた。
兵事務所の活動は、インドシナ難民の定住促進援助や国際児の適応相談のほか、下記の通りバザーや社会見学を開催し、参加者はお互いに家族同志の交流を深めた。また、難民として日本に入ってきたベトナム人一家が日本人として帰化することができるという嬉しいニュースもあった。
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