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【5月3日 デュイスブルク】

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今から7年前の1989年、このデュイスブルグでボクは一度だけ演奏している。しかしホールではなくオケの練習部屋である。演奏目的は、ここのオケの入団のオーディション。留学1年目のボクは、ドイツ語もろくすっぽしゃべれない状態で、オーディションには招待状が必要な事を知っいながらナシで会場に現れてしまったのである。ナシオケのイシスペクターに話すと「OK、演奏して下さい」という事になった、ラッキ一である。
いつもこううまくいくとは限らない。演奏の方はというと、これが最悪で、あんまりくやしくて発表を聞かずに帰ってしまった。
そんな苦い思い出しかないデュイスブルクで、今度は大ホール。しかも、日本フィルで乗り込んでいくのである。、胸がときめかないわけがない。
会場に入ってみると、所々覚えてはいるが、ほとんど忘れてしまっている。外観はナントカ公会堂といった感じではあるが、ホールでの音はなかなかのもんだ(さすがドイツ!)
PM8:00、満員の会場に、マエストロ広上がちょっと小走りで登場。あっと言う間にボクらはベートーヴェンの世界に引き込まれていく。2曲目のラフマニノフでは、ソリストのガヴリーロフ氏が圧倒的追力で聴衆をねじ伏せた。ついでにボクらもねじ伏せられた!
最後のファリャは今日も大いにうけた。ボクは5年間ドイツに住んでいたが、この手の曲は滅多にやらない、やはりドイツ人はベートーヴェン、ブラームスあたりが大好き。でもちょっと喰わず嫌いな所があるから、“たまにはスペイン風を味わってちょーだい”っていうカンジー?そしてアンコールの最後のキメの一発が鳴った後、聴衆は立ち上がって拍手を贈ってくれた。今日も大成功だ。
楽屋で着替えていると、本番が終わったあとの、あの独特の疲労感がおそってくる。ん〜あとはビールだ。バスに乗ってホテルに着く。あ、いっけねー、買っといたビールを楽屋に置いてきちまった、やはりデュイスフルクには、いい思い出を残せないらしい…
さて、あの7年前のオーディションの結果はどうだったのだろう。今から聞きにいってみようか。いやそんな無駄な事はやめよう。ボクは今日本フィルにいて幸せなのだから。
(柴田 勲 フルート)

 

公演日:1996年5月3日(金)
公演地:メルカトールハレ(デュイスブルク)
スペインの恋の妖術メイド・イン・ジャパン

 

第6回マイスターコンサート
日本フィルハーモニー交響楽団の演奏に聴衆は興奮
《新ライン新聞 1996年5月6日付け》

 

たとえスペインのアンダルシア国立管弦楽団でも、これ以上にカスタネットを燃え立たせ、鳴り響かせることは出来なかっただろう。当地でアジアの人が演奏していると気づくには、少し目を凝らして見なければならなかった。招かれたのは日本フィルハーモニー交響楽団である。同楽団の演奏により第6回マイスターコンサートの聴衆は、マヌエル・デ・ファリャによる横恋慕のバレエ音楽「三角帽子」に我を忘れ、文字通り拍手喝采となった。実際、正指揮者・広上淳一は、すっかり同楽団を国際的レベルに仲間入りさせたと言って良いほどすばらしい演奏を聴かせた。
手短に言えば。デ・ファリャの巧みに機知に富んだ音楽を聴き、一聴に値するその精巧さ、身を焼き尽くすようなその全身全霊の没頭、また音楽的アイロニーの込められた様々な趣向の演奏を体験した。その上、日本人が、多くの場合のような抜粋した組曲だけでなく、そのバレエ全曲を音にしたことから、この優れた演奏家たちに対する共感はますます強まった。
ベ一トーヴェンといえば、どの日本人にもほとんど、ヨーロッパの音楽文化でこれを上回るものはないと思われている。当夜はべ一トーヴェンの第1交響曲で幕を開け、その演奏はオーケストラの隅々まで見事に磨きがかかり、えり抜きの演奏芸術を聴かせた。とはいえ、典型的なロマン派の英雄像に独自に挑戦する、一部古い解釈モデルヘ導くのは邪魔なことである。だからその演奏は、激昂して割り込むようフォルテ部と、ほとんど甘ったるく撫でられるような叙情的な細部に分かれるのである。まさに依然として、ステロタイプのベ一トーヴェン像が透けて見えてくる。
感動の嵐に引き続き、聴衆はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に夢中になった。亡くなった老巨匠S.チュルカスキーの代わりをつとめたのはアンドレイ・ガブリーロフだったが、その選択は、かつて鍵盤の驚異といわれたこのスターが、たとえ前回のソロ公演で、ひょっとして内面的な矛盾でも抱えているのではないかという印象を与えていたとしても、これに変わるものはないのは確かだ。ガヴリーロフは、ラフマニノフが築いた高度な名人芸の領域で、自由奔放にその力を臆することなく出し切ることができ、かなり回復してきているように思われた。がしかし、ガヴリーロフが重競技選手のような姿勢で音楽にむかった結果、この作品のもつ多面的な中間音と、洗練されたその作品構想はほとんど現われてこなかった。
[ペドロ・オビーラ 訳・宮沢昭男]

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