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吉松隆:鳥たちの時代
ラロ:スペイン交響曲(ヴァイオリン協奏曲)
ファリャ:「三角帽子」全曲版
客席はほぼ満席。吉松「鳥たち〜」とラロでは楽章ごとに拍手がおこり、「お客さんは本当に楽しみのために来ている」と感じました。ファリャの演奏が終わると、「ワーッ」と歓声があがり、気が付くとほとんどのお客さんが立ち上がって盛んに拍手をしていました。大変喜んでくれたようでした。
(山田智子 ヴィオラ)

 

黄色のチューリップ

 

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出発後7日目、やっと体も慣れてきた。それにやっと初めてでない場所に来れた、とちょっとホッとした4月27日。アムステルダム・ノボテルホテル。部屋の電話が鳴って「辻野さんあてで、お花が届いていますよ」とのこと。下りてみると文通を続けていたネザーランド・フィルのウィリアム・ヒルさんから目がさめるような黄色のチューリップが届けられていた。早速洗面所のコップに生けて置いてみた。ホテルの部屋にお花があるのは、本当に気持ちのいいものだ。その足でネザーランド・フィルの歓迎パーティヘ。ヒルさんとの文通は、日本での日本フィル主催のパーティのだいぶ後で始まったもので、顔は写真でしか知らない。わかるかしら、と思いながら、とりあえず東京のパーティで最初に話したサスキア・シュルーダーさんという、私と同年輩の独身の女性にあいさつした。彼女は待ちかまえたように「ビルの方もやっぱり、どの人かわかるかなあ、と心配していたわよ」と引き会わせてくれた。奥さんと、3人の子供のうちのひとりのお嬢さんを連れてきていて、その2人と共に話をした。とても感じのいい奥さんで、学校の英語の先生をしているという。しっかりした社会的な考えを持っていて、ああした場でも、内容のある話題を持ちかけられ、私ももっと英語がちゃんとはなせたら、自分の考えがはっきり言えるだろうに、と改めて恥ずかしくなった。
次の日の朝、お花のきれいなケーケンホフという公園に出かける用意をしていると、またまた電話が鳴った。「もしもし」と日本語で出ると「Hello,this is Saskia。」と英語で返ってきた。「あんまりお天気がいいので、ドライブしてホテルまで来てしまったの。このままケーケンホフまで送ってあげるわ」というのだ。でも、お昼の本番があるはずなのに「だから送ってあげるだけよ。バスと電車の時間を調べたから、自分で帰ってこられるでしょ」さっぱりしていて本当にいい人たちだった。
公園の花もきれいだったが、車から途中で見た、畑のチューリップやクロッカスのあざやかな色の帯が、今でも目に焼きついている。
(辻野順子 ヴァイオリン)

 

【4月29日 ミュンヘン〜4月30日レーゲンスブルク】

 

 

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古い石造りの建物の目立つミュンヘンも、ロンドン、アムステルダムを経て到着した我々には、いくらか近代的な印象を与えてくれます。ドイツでも有数の大都市ミュンヘンで、4月29日我々はヨーロッパで4回目のステージを迎えました。文化芸術のレヴェルの高いこの地で高い評価を得ることは非常に難しいと言われています。
実際、コンサートのメイン・プログラム「三角帽子」が終わると、すぐに席を立つ人が目立ちました。しかし残ってくれたお客様の方は、実に熱狂的な反応で、盛んにアンコールを要求してくれます。メイン・プログラム終了後帰ってしまうお客が多いのは、この地ではさほどめずらしい光景ではなく、むしろ残ったお客の、この反応の方が、我々の演奏の受け入れられ方をよく表しているという事で、このミュンヘン公演はまず“成功”というマエストロ広上の判断でした。
翌30日は、ミュンヘンから100kmほど北にある、レーゲンスブルクという古い町での公演。ミュンヘンを離れ、速度無制限というアウトバーンに乗る頃には、あたりは大草原で、建物の影もなく、東京や大阪の都市近郊の風景とはかなり違い、国土の広さを感じさせます。
さて、その古い町レーゲンスブルクでの公演の前に大事件は起こりました。ソリストのガヴリーロフ氏が、ゲネプロに姿を現さなかったのです。リハーサル終了時間になっても現れません。しかもこの日は、プログラムが今までの「パガニーニ・ラプソディー」に代わって「協奏曲第2番」を初めて演奏する日で、ガヴリーロフ氏は病気のためにロンドンでのリハーサルにも来れず、まだ「協奏曲第2番」はとにかく一度も音を出していない状態でした。
このままではいわゆる“ぶっつけ本番”。あまりにも危険なので対応策を検討しているところにガヴリーロフ氏は到着しました。開演1時間前…マネージャー側の車の手配にミスがあったらしいとの事でした。
早速協奏曲のリハーサルを開始。なんとか本番に間に合ったという感じで、食事を満足にとれなかった楽員もいたと思うのですが、演奏会の方は大変な盛り上がりで、ガヴリーロフ氏も盛大な拍手に応えてアンコール曲も1曲演奏。スリルのある演奏会でしたが、ここでもまずまずの成功といえるでしょう。
(星野究 トランペット)

 

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ツアー7日目。ミュンヘンには2便に分かれて入りました。私は1便で朝7:15にホテルを出発しました。小型の飛行機で操縦しているパイロットの姿が私たちの席から見え、少し驚きました。
眠そうな30数名の団員の顔は、いつもステージで見せるそれとは全く別人のようでした。早起き組(1便)は11:00過ぎにはチェック・インし、それぞれ昼寝などできましたが、2便ではスーツケースがなくなりバスの出発が遅れ、ろくな昼食もとれずにGPという、苛酷なスケジュールとなってしまいました。
ミュンヘンのガスタイクはバイエルン放送響、ミュンヘン・フィルの本拠地。聴衆も熱狂的なことはなくかなり厳しいのだそうです。しかし、プログラムが終わり、一度席を立ったお客様もそのままアンコールを聴いて、とても喜んでいただけたようで、温かい拍手をいただきました。
終演後、こちらへ留学している友人と久し振りに会い、ミュンヘンの名物バイスブルスト・レバーゲーゼと、世界一おいしいと言われる本場のビール(バイスビアー)をのみに行きました。
次の日のミュンヘンの新聞で“ナポレオン”と讃えてあった広上氏も、全身汗して飛び跳ねておりました。
ミュンヘン2日目。レーゲンスブルク(ドイツの奈良と言われる)大学のホールです。緑と水に囲まれた街がとても素敵で、都会ばかりまわった後だったからでしょうか、“ヨーロッパヘ来たんだなあ”としみじみ感じることができました。ドナウ河のほとりで、お婆さんが炭火で焼いてくれたソーセージ(ドイツの三大ソーセージのひとつ)を食べながら、ビ

 

 

 

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