
公演日:1996年4月25日(木) 公演地:ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン) 指揮者、飛び上がってオケの注目を促す
音楽 日本フィルハーモニー交響楽団 デイリー・テレグラム紙 1996年4月30日付け
日本フィルハーモニー交響楽団の奇妙なところは、楽団員全員が指揮者を注目していることだ。イギリスの、またヨーロッパのオーケストラも時々は指揮台の方向に視線を向けはする。しかし経験を重ねた目は各セクションの首席演奏者間の内なるコミュニケーションから重要な方向性を容易に察知することが可能である。一方、日本フィルを統制する役割は台の上の男が担っているのである。 広上淳一も注目に値する。エネルギッシュで舞踏的。アップヒートではしばしば空中に軽く飛び上がり、指の小さな振りの繊細さが必要とされる部分では指揮棒を歯の間に噛んでいた。 オーケストラの委嘱作品、吉松隆の「鳥たちの時代」では、時に指揮をしている、というよりはむしろ、音の潮流に乗って泳いでいるのかのようだった。 日本の現代音楽の多くがそうであるように、吉松の幻想曲もまた、東洋の音楽を模倣するフランスの作曲家の作品と対抗しているかのようだった。うねる弦の和音、ドビュツシー、ラヴェルを彷彿させる長く保たれる金管のペダルが、鳥の木管、弦のハーモニクス、そして調律された打楽器による鳥のさえずるような効果と重なり合っていた。素朴さがこの作品の曖昧さを救っていた。遠い青に消えゆく上昇スケールを伴って、第3楽章、終楽章も魅力的だった。 ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は、非常に均整の取れた明るい演奏だった。しかし、メトロノームの様に情け容赦ないリズムは、表現力を閉じこめてしまっていた。アクセントは多様性に欠け、それぞれの小節の最初に従属に拍を打つだけだった。音色に豊かさがあるわけでもなかった。弦は冷たく鋭角的だったし、管のソロは空虚だった。 ホルン、リード楽器はマシュマロほどの確かさしか持ち合わせていなかった。堅苦しいピートで身動きのとれないピアノ独奏者アンドレイ・ガヴリーロフは、情感を伝えきれていなかったし、不思議な程見た目にも聞いていても退屈な演奏だった。幸いにもファリャの「三角帽子」全曲は、より熱中できる演奏だった。ここでは集約的な弦楽器群が有効に作用し、オーケストラの音の結束がスペイン風リズムを押し出すのに良い効果をもたらしていた。打楽器は広上のフレージングに呼応して衝突、爆発を融合させていった。あるいは指揮者はもっと大胆不敵であってもよかったかもしれない。正確に拍を打つ、というよりは傲慢にアクセントを叩きつけるように。しかし、この作品は驚くほど効果的であった。坂本朱は激しい豊かなメゾで、2ケ所のソロでは威厳のある存在をアピールした。 [ブライアン・ハント 訳・梶川悦子] 公演日:1996年4月25日(木) 公演地:ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン) ロンドンの楽壇 インターナショナルな響き
ファイナンシャル・タイムズ紙 1996年5月3目付け1
ロイヤル・フェスティバル・ホールにおけるロンドン・インターナショナル・オーケストラ・シーズンで先週木曜日に日本フィルハーモニー交響楽団が、その2夜後もバーデン・バーデンの南西ドイツ放送交響楽団がそれぞれ紹介された。この日本の交響楽団が、吉松隆の「鳥たちの時代」よりはもっと刺激的な作品を選択することも可能であったにもかかわらず、ポピュラーなレパートリーを無難にこなすことをしなかった事は評価されてよい。 この3楽章形式の組曲はプログラム・パンフレットでは「現代音楽の混沌の森の上まで飛べる新しい翼を探している生き物とオーケストラの構成員、双方によせる詩」と説明されている。激しく寄せる弦楽器、静的な和声。チュッ・チュッという装飾の多用、軽くきらめく打楽器はしかし、それほど上まで飛べなかったし、贅沢な映画音楽の域を出なかった。 演奏会の唯一のポピュラー曲が最悪の演奏となった。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」では、オーケストラとピアノ独奏者との間に、とりわけ密接な協力体制が要求される。しかし、アンドレイ・ガヴリ一ロフは自分のパートを打楽器的、破壊的に弾き急ぎ、まるで吉松作品のあとでまだ飛び回っていた鳥たちを空気で処刑するかのようだった。指揮者広上淳一の努力にもかかわらず、ガヴリーロフと広上との間には完全なる理解は存在しなかった。 彼はしかしファリャの「三角帽子」で、自分自身をとりもどし、熱意をもって取り組んでいた。オーケストラは抑制と調和をもって応え、坂本朱は短い2ケ所のソロで素晴らしいメゾ・ソプラノを披露した。1曲目のアンコール、ヒューゴ・アルヴェーンのグリーグに似た「エレジー」で、弦楽器は完壁な調和とフレージングを誇示し、素晴らしいクラリネットのソロが加わった。オーケストラは和田薫の「土俗的舞曲」のシンコペーションの動きに身を委ねた。 [アドリアン・ジャック 訳・梶川悦子]
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