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ラロ:スペイン交響曲

 

エドゥアール・ラロ(1823.1.27、リルー1892.4.22、パリ)は、19世紀フランスのロマン派を代表する作曲家の一人である。唯一の交響曲(ト短調、1886)は聴きごたえのあるわりに人気が出ず、歌劇の秀作〈イスの王様〉(1875−88)にしてもそのとおりで、その点からは、真価を理解された作曲家とは言えない。サン=サーンスやフォールに先んじて彼が開拓した・フランス的室内楽の分野や、ドビュッシーに讃美されたバレエ音楽〈ナムーナ〉(1881−82)なども、もっと顧みられてよいものであろう。そのラロを、こんにち必ずしも“地味な存在”に終らせてはいないのが、ここに演奏ざれる、ヴァイオリンと管弦楽のための〈スペイン交響曲〉である。北フランスの地方都市に生まれたラロは生地で音楽の基礎を学んだのち、16歳でパリ音楽院に入ったが、本腰を入れたのは、名教授アブネックに就いたヴァイオリン演奏のみだったという。ペルリオーズと共に、めずらしく“ピアノがひけなかった作曲家”だとも言われている。したがってラロは生涯にわたっていずれかと言えば弦に興味を抱きつづけ、協奏曲ないし協奏的作品も、5曲中3曲までがヴァイオリン用で、残る2曲のうちチェロのそれはかなり名高いが、ピアノのそれはほとんど聴かれない。さて、〈スペイン交響曲〉二短調作品21は、1873年に書かれたへ長調のヴァイオリン協奏曲につづく、この畑の第2作である。ラロがとくにスペインにちなむ楽曲を書こうとした動機は、さしずめ二つ考えられよう。ひとつは、彼の祖先が、かつてスペイン中央部のカスティーリャから出ていること。もうひとつは、彼が1870年代の初め頃、当時新進気鋭だったスペイン生まれのヴァイオリニスト、パブロ・デ・サラサーテ(1844−1908)と相知ったことである。
へ長調の協奏曲もこの名手のために作曲されたのだが、ラロは第2作において、友のためによりいっそう華麗な演奏効果と、人を惹きつける異国的情緒にあふれた作品を書こう思いたったに違いない。1875年2月7日、パリで初演されたこの曲は。思惑どおりの成功をかちえ、作曲家およぴ演奏家の名をいっそう高めるのに役立った。ちょっと不思議に思えるのはくスペイン交響曲〉というタイトルだが、これはラロがオーケストラ・パートの効果にも力を注ぎ、しかも普通の協奏曲とは違った書法、楽曲構成をとったことに由来するのであろう。楽章は5つある。
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ソナタ形式をとり、2つの主要主題にはスペインらしい情熱と哀愁が込められている。
第2楽章 スケルツァンド、アレグロ・モルト 3部形式をとり、主部は、ギターを手に歌われる粋なセルナードといった趣にあふれている。中間部は短調に変り、対照の効果を出す。第3楽章インテルメッツォ、アレグロ・ノン・トロッポほかの楽章ほどヴァイオリンが派手ではないせいか、古くから省略される例も多いが、独特な風情をたたえ、捨て難い部分である。
第4楽章 アンダンテ 曲中でもきわ立って抒情的な、美しい歌の楽章。
第5楽章 ロンド、アレグロ 8分の6拍子のきぴきぴした運ぴが、たいへんスペイン的。技巧的にも華麗なフィナーレをなしている。
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