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百瀬賢一
海士の町に流れる音楽

 

白い航跡を引く小さな船が春の淡い光を受けて、きらりと光っている。窓を開けるとやわらかな空気が、僕の周りを包んだ。長崎県・壱岐島の郷ノ浦町。ここで僕は「春一番」の風の吹くのをじっと待った。小崎地区に、男の海女さんがいると聞いて、船泊まりを歩いてみた。風とのかかわりや、暮らしぶりを聞いてみようと、思ったからだ。この季節、入り江が鏡のように穏やかでも、アワビ、サザエ、ナマコの採れる沖合の漁場では、北西の冷たい風が激しく吹き、仕事にならないときがある。この風が止むと、今度は春を告げる春一番の風が吹いてくる。男の海女は「海士」と書いて「あま」と言い、三十六人の男が海とともに暮らしていた。流れや色を見て、水温を肌で感じると、海に潜っていても春一番の気配が分かるという。
四季折々、自然を肌で感じ、暮らす人のいる、この島に一〇二五席の大ホールを備えた「壱岐文化ホール」が今年、ちょうど春一番の風が吹くころ、誕生した。僕は島で開かれる演奏会の魅力を、ひとりで考えてみた。海をテーマにした交響曲、室内楽が演奏され、郷ノ浦をはじめ壱岐の島の四町から、多くの人がやってくる。夕日が落ちるころ、ホワイエからは、演奏会への期待にまじり、顔を知ったもの同士の何げない会話が聞こえてくることだろう。演奏家はゲネプロの合間に船泊まりを歩いてみる。海士さんが時化のとき、豊漁を願って開く、「まんなおし」と呼ばれる宴会に、もしかしたら、出会うかもしれない。海の、自然の豊かさや、人の営みの知恵など、会話の中に学ぶものも多いだろう。僕はそんな赤鋼色に輝いた男たちと、このホールで音楽を間にはさんで再会したいと思う。(ももせけんいち共同通信文化部)

 

 

 

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