
第5回 グローブ座セミナー
「シェイクスピアと演技」
講師:野田学
参加人数:32名 開催日:1996年7月27日(土)
時間:10時00分〜12:20分
ヴェニスの商人のシャイロックの演技に焦点をあてて、ビデオを観ながらの講演。ヴェニスの商人のあらすじによりながらお話しをすすめる。
当時お金を貸すとき、キリスト教徒は利子を取ることは違法とされていたが、ユダヤ教徒がキリスト教徒にお金を貸す場合には異教徒なので利子を取っていた、ここからユダヤ人はお金に汚いといわれるようになった。これはユダヤ人に対する偏見である。シャイロックのサレーリオの問いかけに対する台詞はユダヤ人の誇りといわれなき偏見に対する怒りが表わされいるが、1701年ジョージ・グランビルによるヴェニスの商人解訳版ではこの台詞が省かれていた。この芝居でシャイロックを演じたのは、道化役者のトマス・ドケットであった。シェイクスピアの時代からシャイロックは喜劇的悪人と描かれていた。最後の法延でのどんでん返しシーンは、シャイロックの台詞が少ないのでどのように演じるかいろいろあるが、伝説的なものを紹介。
1814年エドマンド・キーンは肩を落として登場し、舞台をはけるまぎわに振り返り眼光するどくにらみかえすというものであった。
ローレンス・オリビエは舞台袖で吠えたといわれている。
台詞が少ない場面なので役者は苦労しているようである。
ヴェニスの商人の上演年代ははっきりしていないが、1596年〜1597年ごろではないかといわれている。
初期の頃のシャイロックは赤毛のかつらに髭をつけ鈎鼻のおさだまりの人物として登場していた。(しばらくはこのパターンで演じられてきた。)
1605年に国王の前で上演された時には喜劇的悪玉として登場していた。
それまでのシャイロック像を一変させたのはチャールズ・マクリーンが残忍な悪玉と登場させ、伝説まで残っているそうである。
(彼のシャイロックを観たジョージ二世はその夜眠れなかった。等)
シャイロック像をさらに変えたのはエドマンド・キーンで、彼は民族の誇りを持つ殉教者的シャイロックを作った。演劇記者にシェイクスピアのシャイロック像を周到しているともいわしめたそうである。
19世紀初頭の舞台では歌舞伎の様な見栄をきって演技をしていたそうである。
その後のヴィクトリア朝時代にはいると、シャイロック像は民族の威厳と喜劇のぺーソスを含んだシャイロックとして描かれていく。
20世紀はいるとまた、新たなシャイロックが描かれていく。特に、大戦後は反ユダヤ的な芝居とみなされてる。
時代によっていろいろな観点からシャイロックが描かれていることがわかり、大変興味深いお話しでした。
記入者:瀧上 由紀
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