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る。一九七九年頃から子ども劇場おやこ劇場の公演が多くなる。
一九八一年
山梨事務所を設置公演班も浜組、松組に風組を加えて三班体制となる。
磐田郡豊岡村に村の協力を得て劇団たんぽぽ演劇練習道場を建設
また、戦後の荒廃の中で、地域で、親と子で、観てもらう児童劇を主眼にしたたんぽぽの活動は、長野県時代を過ぎるあたりから、教育行政全般の流れと動きのなかで、次第に小、中学校の演劇教室主体の公演になってきていた。
一九八四年
静岡県内公演は一万回を超え、延べ五百万人の子どもたちが観劇。
一九八六年
劇団を率いて四十年。主宰者小百合葉子が心不全で急逝する。母校「静岡県西遠女子学園」で劇団葬を行う。
この年、沖縄県に事務所を開設する。
十一月あしかけ七年の取材を経て本田節子著『小百合葉子とたんぽぽ』が発刊される。その後一九九三年に増補判を発刊。
一九八八年
二十五年間お世話になった鈴木初蔵氏宅から浜松市子安町に本部道場を移す。
一九九〇年
劇団創立四十五周年に『劇団たんぽぽ創作脚本集』を発刊する。
一九九二年
静岡県の姉妹都市中国折江省へ県の文化使節団として訪中。「風組スタッフ一行十五名、上演作品『ゆきと鬼んべ』」初の海外公演は、”中国へ飛んだたんぽぽの綿毛“として大きな反響をよぶ。
一九九三年
この道四十年、下里純子が全児演賞を受賞。
一九九四年
劇団員の武井岳史が、第三十五回「講談社児童文学新人賞」を受賞。また、意欲的な創作活動が評価され、全児演奨励賞を受賞。
一九九五年
公演班にわたげ班が誕生。4班になる。
一九九六年
劇団代表の吉岡敏晴が「全児演賞」を受賞。

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小百合葉子 (一九八六年一月十三日没)

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受賞
一九六〇年 静岡県教育功労賞
一九六八年 藍授褒賞。明治百年女優祭で表彰。浜松ユネスコ協会賞
一九六九年 吉川英治賞。静岡県積善会頌状
一九八〇年 沖縄県知事感謝状。久留島武彦文化賞。
一九八二年 中日社会功労賞。勲四等瑞宝賞
一九八四年 千嘉代子賞(国際ソロプチミスト日本リション)
一九八五年 第一回・0夫人児童演劇賞
一九〇一年 (明治三十四年)静岡県浜松市滝沢町に生まれる。西遠実科高等女学校を卒業後、上京。坪内逍遙博士の早稲田児童演劇研究会に学ぶ。逍遙師との出会いがやがて児童劇一筋の道を決定づけることになる。
劇団さそり座、万葉座を主宰するかたわら、創作座芸術小劇場等に参加。また、不二映画松竹蒲田など、映画出演やNHK愛宕山時代からラジオドラマで活躍する。
一九四五年 疎開先の長野市篠ノ井で「信濃芸術座」を結成。その後、一九四六年劇団たんぽぽに改組、村から村への移動公演の苦難の道を歩み出す。
一九六三年 道場全焼にめげず敢行した復帰前の沖縄全県公演は社会的に大きな反響を坪び、沖縄の児童文化に多大な影響を残す。
度重なる病魔に打ち勝ってきたが、一九八六年一月十三日心不全のため急逝。八十四歳の生涯を全うする。人を魅きつけずにはおかない誠実さ、”子供たちに夢を“を貫いた生涯だった。

 

 

 

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