長女を育てて恩を知る
八島洋子
神奈川県
「亜希子、亜希子」と、いくら呼んでも振り向かない長女をつれて、市大病院へかけこんだ二十一年前、「先天性難聴児です。残念ながらいまの医学の力では治すことは不可能です。こういう子供は教育の力でしか救うことができないのですよ」と、言いにくそうにおっしゃる病院の先生の言葉を、信じられない思いで聞いておりました。
一ヵ月後、やっとの思いで絶望から立ち上がったとき、私の心の中には、「この子を、きっと一人前の人間に育てねば」との熱い思いが、こみ上げてきたのでございます。
長女は三歳で、ろう学校に入学しました。入学のとき先生から、「みんなと一緒にやっていけるかどうかわかりません」と言われ、学校での最初の訓練であった「パ」の発音から長女はつまずきました。パと発音するとき、息を吸い込んでしまい、苦しそうなのです。先生が息を前に出しなさいと、何度も訓練してくださいましたができません。ついに先生は、長女をつれて
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