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立派な社会人となって

理容店のオーナーとして

吉野雪子
横浜市
昭和二十八年五月のある日のことだった。私たちにとって忘れることのできない、まさに晴天の霹靂、生活を覆するようなことができてしまった。それは我が子、光二が聴神経がストマイの注射の副作用で、麻痺して一生不具の身になってしまったということだった。
光二は二十七年一月、横浜で元気に生まれた。すくすくと成長して生後一年、ようやく、「ウマウマ」「ブウブウ」と言えるようになり家族の人気者だった。そして初めての誕生日を祝い、苦して成長を喜びあった。
二十八年一〜二月に流行した流行性感冒は物凄く悪性で、特に発熱は四十度以上が四〜五日続く恐ろしいものだった。

 

 

 

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