
娘は京都の会社に勤務
松川政枝
那覇市
日本列島の南は沖縄、その最果ての絶海の孤島、与那国島が私の郷里です。台湾に近いと言った方がおわかり頂けると思います。
ここは、学校施設は完備されているが、医療施設は乏しく、形ばかりの診療所があるだけ。健康管理面では安心して生活できるところではありません。私ども夫婦はここで生まれ育ち、結ばれました。三人の子宝に恵まれ、いずれも年子で、まるで三つ児のようにめまぐるしい子育てでした。
娘は昭和四十年八月に生まれましたが、未熟児でした。その為にこの子については細心の注意をはらって育て、生後の発育は順調でした。
そのうちに三歳児の検診があり、全く予期していない不治の難聴障害を言い渡されました。あのときのショックといったら表現のしようがありません。本当に全身から気力が抜けて、口
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