
自立してより強く生きる
高沢陽子
滋賀県
現在、川崎市で独り懸命に生きている娘のことを思いながら、過ぎ去ったことを振り返って、ペンをとりました。
昭和三十三年、春浅き三月の末、娘は家族の愛を一身に受けて、私どもの長女として生まれました。早産でしたが五体満足で無事生まれたことを家族で喜びました。
それから二ヵ月ほど後、異常に気付いた義母の言葉に、「まさか」と思いながら、音に反応を示さない娘にどうすべきか、未熟な私どもは途方に暮れました。
他人さまの目を気にして、将来を悲観してこのまま消えてしまいたい思いで、娘を抱いて夜中に外をさまよったことを思い出します。
その当時、早期教育を目指して、幼児から入学可能な滋賀ろう学校のことを聞き、私どもは藁をもつかむ思いで相談に行きました。
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