
家族六人、平和な生活
中山よね
三重県
聴覚障害を持つ息子を世に送り出し、健聴者と一緒に仕事に就き、将来をともに生きる伴侶もできて平和な生活をしています。そして二人の女児の良き父親にもなり、私と家族六人の円満な家庭の中で、立派に家長の責任を荷なって頑張っております。
この日を迎えるまでの私の苦労話や自慢話を記させていただきます。
母親の私の心配と悲しみの始まったのは、息子が三歳のときでした。風を引いて高熱を出し解熱剤にマイシンをのませてからのことです。病院へ行きました。先生からは、「耳は聞こえるようには治らない」と話されました。
そして、「特別の学校で訓練を受け、話ができるよう勉強するように」と言われました。その日から、私の辛い苦しい悲しい日の明け暮れが始まりました。
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