
いに行かせました。わかってもらえたら嬉しそうに、「いっぺんで言えた」と喜んで帰ります。その後で私が聞きに行きます。お陰さまでだんだんとわかってもらえるようになりました。
人と出会っても挨拶をするようになり、今では皆さまに可愛がってもらい、大変ありがたいと思っています。
楽しい思いでもあります。遠足や卒業旅行には父兄がついて行き、普通の学校ではできないことです。先生に感謝しております。お陰さまで六年生を送るときには娘が送辞を読ませてもらいました。お友だちと町に買物に出かけても、お金を払うときは早苗が手伝います。
姫路ろう学校の高等部を三年で卒業して、東京の聴覚障害センターへ一年間行きました。「何か職を手につけないか」と先生に言われて、洋裁の方へ進みました。お盆やお正月はお友だちや姫路から西へ帰られる人と帰り、楽しい一年でした。
卒業して姫路の洋裁店に勤め私も安心しました。三年ほど勤めたころ、先輩がやめることになり、その先輩に誘われて一緒にやめてしまいました。その後、病気になるなど一変して心配が増えました。
結婚は失敗しましたが、今は親子三人、楽しく暮らしております。私は元気でしたが昭和五十年に直腸の大手術をしました。生と死をさまようこともありました。「あのとき、死んでおれば今の私は無い」と、早朝、一時間ほど神社のお掃除を続けています。お陰さまで毎日元気で頑張っております。
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