
れたホテルと、ここまで育ててくださった洋食と和食の皆さんに深く感謝しております。
私も主人も手話サークルに
大日方千寿子
長野県
男の子が二人すでにあった私は、今度は女の子と願っておりました。両親や夫も同じ思いで誕生を待っておりましたが、結果は三男敏充の誕生でした。
兄たちと元気に遊び喧嘩もする活発な子に、何の心配もすることなく一年半過ぎたころのことです。大好きな車で夫が畑から帰ってきても気付かない。始めは遊びに夢中のためかと思いましたが…。いろいろ試してみて、やはり聞こえないと感じて日赤病院に行き、信州大学附属病院での精密検査を勧められました。重い敏充をおんぶしてバスを乗り継ぎ、道を尋ねつつ松本の大学病院で診察を受けました。その結果、「すぐ、ろう学校に行き言葉の訓練をしないと話すことができなくなります」と言われ、泣きながら夜の十時過ぎに、途中まで迎えにきた夫
前ページ 目次へ 次ページ
|

|