
越えられない山はない
渡部静佳
新潟県
「おはようございます」三歳半の息子が、生まれて初めて覚えた言葉でした。耳の不自由な幼児が、上手に発音するにはなんと難しい言葉だったのでしょう。母子で寝ても覚めても繰り返して二週間、教室でみんなに発表したのです。一生懸命繰り返しながら頭を下げる息子の向こうに、私は光る青空を見つけました。その一瞬、こんなにも美しくすばらしい言葉を、人生の最初に教えてくださった先生に深く感謝しました。
新潟ろう学校での幼稚部は、この日から本格的なスタートを切りました。昭和四十年代、聴覚障害児の早期教育が真剣に叫ばれていたころのことです。言葉の数も次第に増えていった息子には、一日も早く健聴児と交わる場が必要だと痛感しました。幸い快く受け入れてくれる幼稚園をみつけ、週二回の通園が可能になりました。息子はすぐに大勢の子供たちの中に溶けこ
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