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防衛医科大学校における献体の歴史

防衛医科大学校
本校は、閣議決定に基づく昭和48年の国会での可決を経て、同年11月27日施行された政令によって開設されました。昭和49年春には自衛隊入間基地内の旧米軍施設の一部に設けられた仮校舎に46名の第1期生を迎え、翌50年には82名が入校し同年8月に現在の所沢校舎に移転しました。教育担当副校長兼医学教育部長として着任した中山知雄教授が、解剖学初代教授として精力的に教育・研究の準備に取り組み、昭和50年10月から解剖学教育が開始されました。数回のカリキュラム変更を経て、約 100時間の講義と380時間の実習からなる教育課程が第2学年後期と第3学年前期に構成されています。現在第1講座は昭和61年4月から吉岡正彦教授、第2講座は平成5年7月から依藤宏教授が担当しています。これまでに昭和60年度(第12期)から入校が開始された女子学生41名を含め、1,178名が卒業しています。
開校当時、同県内に埼玉医科大学、城西歯科(現、明海)大学が新設されたことに加え防衛庁管轄の大学校という事で解剖体の収集は予想されたように困難を極めました。50年11月には白菊会防衛医科大学校支部として承認されましたが、翌年から開始される第1期生の解剖学実習には到底間に合うはずもなく、51年10月から開始された実習は、学生46名に対して4遺体で進めなければならない惨状でありました。
幸い協力病院や周辺自治体のご協力によって52年度には11体が準備され、54年度までは学生6名から8名に1体の状態が続きました。55年度には4.8名に1体まで改善され、56年度になり初めて4名で1体の実習が可能となりました。平成8年8月現在献体登録者の累計は845名に登り、そのうち201名の方々を解剖体として受領しました。解剖体慰霊祭は、毎年学校行事としてご遺族を迎えて学生、教職員が一同に参列して執り行っております。講堂に白菊で飾られた祭壇を設け、医学教育部長と学生代表が故人とご遺族に対して感謝の言葉を捧げ全員が献花をして御霊のご冥福を祈ります。
さらに慰霊祭に先だって防衛庁長官からの献体者に対する感謝状がご遺族に贈呈されます。解剖体慰霊碑は昭和53年2月所沢聖地霊園に建立され、毎年慰霊祭終了後ご遺族教職員、学生が参拝しています。付属の病院が他の防衛庁直轄病院とは異なり一般保険による外来診療を行なっている事も手伝って、献体登録に対する周辺地域住民の関心は年々高まり、昭和60年代以降急激に献体登録者が増加したため保管遺体数も相当数を数えるに至りました。
現在でも献体登録についての間い合わせは絶えませんが、ここ数年献体登録の受付を見合わさざるを得ない状況が続いております。今後とも篤志解剖全国連合会員の方々と共に、新しい時代の献体を模
素して行きたいと考えております。

 

 

 

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