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宮崎医科大学白菊会の歩み

 

宮崎医科大学白菊会

 

脳性麻痺の二人の子供を育てる家庭の苦労は自分たちで終りにしたいと思い、同じ境遇の同志十数名の方々に「医学の進歩のために脳を解剖の為に提供しよう」と申し合わせて、昭和39年に発生予防のため「母体を大切にする運動」を始めました。昭和40年に県と県議会に対し「医学の研究所の創設を」と陳情請願を毎年のように続けました。そのことがどうしても医学部が欲しい、そして立派な医者をと祈るような心で献体運動に身も心も捧げるようになりました。また「県民の皆様、宮崎大学に医学部が設置されますよう文部大臣に葉書の陳情をしようではありませんか」と郷土紙に投書をいたしたこともありました。
昭和47年9月22日宮崎大学医学部新設推進期成同盟会が県民世論の高まる中、民間人の手で発足しました。昭和48年3月7日には県の組織として、宮崎医科大学設置準備室が設置され、医科大学設置を中心に解剖体の確保、会の名称、会則等検討が始まり、昭和48年6月22日宮崎県解剖体確保対策協議会が発足し、いよいよ具体的に解剖体の確保に取り組む体制ができたのであります。宮崎医科大学の開学に先立って、昭和49年2月8日発起人会が開催され、白菊会の初代会長に弁護士会の長老の福田甚二郎先生が就任され組織の拡充強化、会員の確保等に東奔西走の活躍で現在の基礎をつくって頂き、成願の後は骨格標本にもなって頂きました。
あれから23年、歴代の役員、会員の皆さんの努力が、献体運動の輪を広く大きく広げて頂きました。特に医大はもとより県や清武町、医大後援会からの補助金、また県医師会員の先生方には維持会員になって頂き、財政的に大きな力になって頂いておりますことに心から感謝を申し上げます。現在の会員数1,568名、成願者数420名、創設より現在まで数えきれない方々の血のにじむような足跡をたどりながら、医学の向上と医師の倫理の確立にみんなで力を合わせ、遭進したいと存じております。
(副会長 橋本 宏)

 

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