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爽風会の献体20年

 

財団法人 爽風会

 

昭和48年秋、献体協力団体“爽風会”が、理事長坂本惣平氏(当時、高知県教育委員長故人)によって設立された。医科大学がなかった当時は、徳島大学白菊会と連携して活動していた。高知医科大学の開設に伴い、本学の献体協力団体として独自の活動を開始し、昭和51年には関係者による法人化の打合せが進み、昭和52年4月には財団法人爽風会の設立が認可され、理事長に安中正哉氏(当時、高知女子大学長)が就任した。その時の登録会員数は僅か61名であった。高知医科大学では、昭和53年度に第一期生の入学が、昭和54年度には解剖学実習開始が予定されており、献体組織づくりは特に急がれる問題であった。
昭和53年5月に理事長に就任した福田義郎氏(当時、高知放送代表取締役社長、故人)のもと、爽風会役員各位は福祉施設の訪問、老人クラブとの連絡など東奔西走され、会員確保に努力され、会員も急速に増加していった。
一方、高知医科大学においても昭和53年4月の解剖学講座の山本教授、白石助教授の着任とともに爽風会の活動と一体となり、福祉施設及び病院、そして県下の全市町村などを訪問し、解剖体確保のための協力を広く関係機関に要請し、又各市町村の発行する広報に献体の必要性を説く文章を掲載してもらい、県民の献体への理解と協力を強く求めたのである。
献体された遺体の保存は、従来の方法を改め、防腐処理装置による防腐処置後にロッカーに保存する米国式のエンバーミング法が採用された。この方法を採用した大学は当時でも数少なく、関係者の自慢とするものであった。
昭和53年11月に第1号の献体があり、その後53年度14体、54年度30体であり、遺体はまだまだ不足し関係者を悩ませた。第1期生の解剖学実習は文部省基準には達しなかったものの、18体が54年秋から翌年3月にかけて実習に供され、又同年には、第一回慰霊祭が挙行されたのである。
55年6月、理事長に坂本昌三郎氏(当時、県保健環境部長)が就任され、従来からの活動に加えて支部の設置が計画されて各地に順次支部が設置された。現在では県下に7支部が設置されており、独自の活動を行っている。
会員懇談会が年2回開催され、医科大学の教官や学外の有識者による特別講演や、医科大学教官による健康相談なども行われている。
会誌“爽風”が年2回発行され、会員相互のコミュニケーションや広報活動の一端として効果をあげている。
現在、会員として登録された方々の数は1,900名を越え、毎年50体前後の会員の献体があり医学教育に大きく貢献するなど、爽風会は順調に発展を続けている。

 

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