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献体の道徳的位置付けに関する考察

 

山口大学白蘭会

 

医学の基礎学問における人体解剖は絶対不可欠なものであり、医学を志すもの全て必須研究となるべき重要位置にこれが位置づけられている。
篤志献体制度が我が国に於ける医学研究と医学者養成上果たす役割は極めて大きく、今日社会的奉仕精神思想の中核に締めるものも軽くないと信じている。
山口大学白蘭会が発足以来四半世紀を経た今日、会員数壱千五百、献体成願者三百余柱を数え献体精神の輪の広がりつつある事は、義務を忘却し権利の拡大主張、義理人情の希薄な現今極めて潤わしい事と思う。
本会には、医学の基礎研究の性格上、献眼やその他の臓器移植を取り止めて献体登録のケースが極めて多く、頭の下がる思いである。
献体も献眼もその精神に於いて些かも異なるところはない。
然るに献眼が大きく善意善行に取り上げられて献体が全くと言ってよい程、奉仕認知されていないのではあるまいかとする事実に多方面からの素朴な疑問が寄せられている。
本学所在地においても先年より献眼に対する賞詞や表彰が、ライオンズクラブ等から相い次ぎ新聞報道も賑わし、誠に悦ばしい限りであるが、献体に対する社会的尊崇感謝は寡聞にして知らず、まさに献眼の比ではない。
人体・人名の尊厳は太古より永遠に大なるはなしであり、献体遺体の取り扱いの丁重なること厳粛且つ尊重に終始しなければならない事は言を待たない。
献眼と献体の比重の軽重が何故出来ているのか、その基本的なものの欠落は何処から来ているのか、軽重の風潮を招いているとすれば、断じて正さなくてはならないであろう。
篤志献体が、チヤホヤされ尊大振ることを指向するのでは毫もない。
献体が人命尊重に繋り、人体尊厳思想に密接にかかわる事であるからである。
平凡善良な市民が献体の主旨に賛同して発意し、その時に及んで遺家族の献体手続きに及ぶ心情を思う時、強烈な奉仕精神なくしては実現出来るものではない。
ライオンズクラブ等に医師の加入が目立つが、献眼との比がアンバランスであることが判らないのであろうか。
それとも、彼等が嘗って医師になるため人体解剖研究の感動と恩恵を忘れ、行路病死者その他が間に合わせた徽の生えた考えであろうか。
そうだとすると以っての外である。
現今病院等で引き取り手のない死亡者が出た場合医学部への引き取り方の連絡があるやに聞くが、若しそうあったとしてもこれは本会とは全く関係ない事である。長年にわたる偏った歴史的慣れから解剖研究への偏見、献体への軽視思想の様なものがあるとするなら断固、許せない。
献眼への意志表示、登録、そして、それらを実行された遺族の尊い行為と精神には心からの敬意を惜しむものではない。
しかし、基礎医学研究に於ける正常解剖の特質から篤志献体の遺体の完全性のため、献眼や臓器移植を取り止めて本会に登録された多くの会員の心情を思う時深くその心に打たれるのである。
献眼と献体と社会的反応の余りにも開きの大きさ、加えてこれらを無遠慮に取り上げて格差を開くマスコミや組織の程度、感覚に唖然たるを禁じ得ない。
若し、篤志献体の登録に於ける身体条件を一斉に取り止め当初の自分の意志に忠実に従い献眼や臓器移植に献げるとしたなら基礎医学研究は全く成り立たない。
会を代表する者として広く諸賢に問うものである。
(理事長 有倫館学園総長 中村)

 

 

 

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