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潮騒と共に

 

神奈川歯科大学

 

神奈川県横須賀市の旧日本海軍工機学校から戦後清泉女子大学のキャンパスとなった跡地に、本学が開校したのが昭和38年9月、今年の入学式も旧海軍の名残の桜並木は健在で、満開の花の下で行うことができた。
本校も30周年の記念式を迎え、この間に本校から巣立った卒業生は4,600余名を数えるに至った。
第1回生124名に対するご遺体の入手には困難難渋を極め、当時の横地教授、高橋助教授、授業の合間をぬって毎週のように市役所、老人ホーム、病院ケースワーカー、警察などを訪問して協力を要請した。特に、歯科大学の場合、医科大学と違って、「歯のない遺体では歯科大学の実習には役に立たないだろう」とか「歯科大学では、全身の解剖はしなくても良いので、遺体は必要ないだろう」という一般の誤解でその供与は少なかった。また倉屋白菊会会長にご足労願って、老人ホーム等で何度も講演会を開催した。そのような経緯から、一般の篤志家の方々の理解を得るために、篤志献体の必要性を痛感し白菊会に加盟した。
一方で、神奈川県では、当時横浜市立医大市川教授が音頭を取られ、神奈川県に所在する医科大学、歯科大学が結束して神奈川県解剖体運営協議会を発足させた。本協議会では主に死体解剖保存法第12条関係に関するご遺体のスムースな引取と、一般県民に対するPRを主目的とした。
本学の白菊会入会最初の会員は、今井俊彦、同貞子夫妻で昭和42年7月10日の入会、最初の献体成願者は故八木すぎ様(1192、昭和43年3月25日没)である。
昭和40年10月22日第1回解剖体慰霊祭を開催し、今年は第27回、この慰霊祭には、遺族の方はもちろん、来賓と白菊会会員の方にも参列を頂いており、式典終了後の懇親会には、学生3年生代表も同席して、遺族や白菊会会員との会話の中で、他では得られない大きな感銘を心に刻んでいる。
この席で、私共と学生と共に語り合った会員が、成願されると感慨無量、ただ頭を垂れて冥福を祈るばかりである。しかし私共に与えられた責務を遂行するためには、「鬼手仏心」の四文字を学生に説いて、その厳しさに耐えられる人でなければならないと教育している。
献体成願者に対する感謝と後のケアーとして本校では、慰霊祭、懇親会の際に身につけた特製のネームプレートに、成願日を新たに刻んで、本学実習出入口にある銅版に固定して永久に保存している。
“ここよりは献体の身なり心して手折ら触れよ名残り白菊”
渡辺 志づ子
献体成願者のモニュメントを飾る一句である。この句の心を会員全体の心としてモニュメントを守って行くことが、我々の勤めではないだろうか。
現在では、献体者の数も多くなり、医学発展を念じておられる方々の尊い志に報いるために、「鬼手仏心」の強い信念を持つ歯科医を送り出す努力を続ける所存である。潮騒と共に…

 

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