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「東京医科歯科大学献体の会」20年の歩み

 

東京医科歯科大学献体の会

 

献体は医学の基礎として、人体の構造及び機能を学ぶ解剖学実習に貢献するのみならず医師として、大切な医の倫理に果たす意義は量り知れないものがある。
この献体運動を本会の歩みと、先人の労苦を振り返り、更なる発展を図りたいと思う。

 

1.会の創設期
昭和40年5月に白菊会会員として最初の会員が登録された。然しその後10年間は献体に対する世の認識も浅く、会員は160名を数えるに過ぎなかった。昭和51年に白菊会東京医科歯科大学支部会報「湯島しらぎく」創刊号が発行され会員の連帯を図り、外に対しては、大学の関係者と学生、会員が一体になって老人ホーム等の慰問を行い、献体の重要性の啓蒙に力を尽し会員の増加に努めた。当時、故郡司白菊会理事長が本会の顧問として、また大学に於ては前全連会長の佐藤教授が推進力になって、会の発展に貢献された。

 

2.会の成長期
昭和58年(1983年)に「献体法」が制定され、会は白菊会から独立したのを機に「東京医科歯科大学献体の会」と名称を改めると共に、会報「湯島しらぎく」もその名を「けんたい」と変え今に至っている。
また篤志解剖全国連合会の団体部会に加盟して、全国の会と手を繋いで広く献体運動を進めることになり、会も漸く成長期を迎えた。会の創設から現在迄の、献体登録者数の推移を見ると、昭和40年代は僅かに160名に過ぎなかった会員が、50年代は1,150名と7倍に増加した。これには大学関係者を始め献身的に活動された、多くの会員の努力の賜物であることを忘れてはならない。
会の運営に目を向けると、白菊会支部として会報を発行した頃は運営兼編集委員として大学より2名、会員5名が運営に当たった。「献体の会」として発足後は、12名の理事が選出され各役割を分担して、常に大学と連絡を密にし、会の運営に携わっている。

 

3.会の現況と展望
本会も会員が今や3,000名を超え、新たに会員増による幾つかの問題が生じてきた。現実的にはご遺体の保管設備や、ご遺骨の返還の遅れ等の問題もあるが、それ以上に大事なことは、献体の理念の問題であると思う。最近の社会事情や死生観の変化、核家族問題が会員増の一因であることは否定できない。しかし医学、歯学の教育と研究のために無条件、無報酬で献体をする善意を信じ、質の高い献体を会員全体の目標にしていきたい。
そして会員が献体を成就するまで、明るく楽しい交わりと、充実した日々を送るお手伝いとして、会報紙の創刊号より会員投稿の歌壇や俳壇の欄を設け,また自由に意見を発表し会員相互の親睦と交わりに用いられてきた。総会には自作の書画や手芸品、写真等の作品展を開いて、総会の楽しみを増している。
また総会に学生も協力して、合唱や器楽演奏を行い、学生との交流の場ともなっている。

 

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