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東寿会の歴史

 

東京医科大学東寿会

 

東寿会とは、東京医科大学の「東」、本学発祥の地である東大久保の「東」をとり、会員に末永く元気で生活し、長寿をまっとうしていただきたいという願いをこめて「寿」の字を加えて命名された。東寿会は昭和52年に内野滋雄教授の発案で東京医科大学独自の献体の会として、それまでに大学との間で篤志解剖依頼契約書を交わしていた方々を中心とした123名の会員によって結成された。さらに、昭和55年には250名を越え、総会で規約が承認された。それに伴って理事7名、監事2名、事務局長、副事務局長、幹事、書記が選任された。その際、会の性格から学内関係者は理事若干名、監事1名とし、事務局長以下は解剖学教室員が兼務することとなった。初代理事長は久住進一郎氏、副理事長に本学OBの佐藤三蔵氏、常任理事に内野滋雄氏で、ここに会の陣容が定まった。
久住氏は昭和52年から59年までの7年間に亘って理事長を務め、牧師としての活動に加えて献体の啓蒙を積極的に進められた。その後、平成8年4月に成願されるまで相談役として会務に携わられた。久住氏の後を受けて昭和59年から林純茂氏が理事長に就任された。林氏は本学OBで産婦人科医院を開業され、その多趣多芸さから生まれた独特の語り口は多くの会員を魅了した。しかし平成8年4月、久住前理事長の後を追うように突然に成願されたが、琉球大学でいご会の協力会員として、平成9年に琉球大学での解剖実習に参加される予定である。現在は内野常任理事が理事長代行を務めている。
学外の会員から選ばれた役員のほとんどは改選の度に、一般会員から留任を要請され、多期にわたって会の発展に寄与してこられた。特に野崎方男氏は篤志解剖全国連合会関連に力を注がれた。その補佐役として小林フミ氏、田村征子氏、寺岡正道氏、中城イマ氏、中村隆俊氏の各理事が活躍された。また湯本昭男氏は監事として特に会計監査の重責を負われている。
東寿会の会員数は年々増加し、特に昭和61年以降は年間新入会員数が常時150名以上となって、平成8年3月現在で延べ2,587名、成願者数は598名に達している。因みに白菊会東京医大支部は延べ会員数216名、成願者58名である。現在は献体による解剖体の確保も年間60体前後となり、解剖学実習に支障を来すことはなくなった。
一方、平成元年からは沖縄県琉球大学における解剖体の不足に積極的な援助が試みられている。東寿会会員の中に琉球大学でいご会の協力会員を募り、既に100余名の会員と十数名の成願会員が記録されている。他に類を見ない献体の会の協力関係として特筆すべきことであろう。

 

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