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東京医科大学の献体の歴史

 

東京医科大学

 

東京医科大学の献体の歴史は昭和39年4月に後藤健平氏が学長との間に篤志解剖依頼契約書を交わし、41年5月に成願されたことに始まる。また、白菊会会員では最初に林キクさんが昭和49年5月に登録、57年3月に成願された。その後、各年とも大学との間で篤志解剖依頼契約書を交わされた方々が十数名、白菊会からの紹介者十名前後の時期が暫く続いた。
昭和52年4月、解剖学教室の主宰者として教授に就任した内野滋雄氏は篤志解剖依頼契約書を交わしていた方々を中心として東寿会を結成、規約を設けて団体としての形式を整えた。初代理事長に久住進一郎氏、副理事長に佐藤三蔵氏、常任理事に内野教授が就任された。牧師であった久住氏と本学OBでテレビ出演を多くされた佐藤氏は機会あるごとに篤志解剖の重要性を多くの方々に説かれ、内野教授は本学のOBや職員を対象に東寿会のPRに努め、会員の増加を図った。解剖学教室も東寿会の結成に対応した組織固めがなされた。東寿会の事務的運営には技術系職員2名が専従となり、事務局長は小林儀人技手が、副事務局長に飛高正夫技手が就任し、教育系職員がこれを補佐した。篤志家の募集は主に老人専門病院や養護施設に於いて行なわれ、入所者の慰問を兼ねて教室員が娯楽映画の上映し、一方で解剖体不足の窮状を訴えた。講義や実習がない日の教育系職員はこのことが最重要視されるほどであった。特筆すべきは教室関係者の協力で大学および東寿会を紹介した8ミリ映画、題して「明日への道」を製作したことである。この映画は施設訪問が篤志家の募集であることを強く前面に押し出すことになったが、むしろ好評であった。
昭和58年の「献体法」制定に至るまでの間は篤志家の増加は期待されたほどの著しさはなかった。しかしその間の入会者は会員および本学OBからの紹介による方々が多く、現在の東寿会入会者の大部分が会員からの紹介によることへの礎となった。「献体法」によって「献体」が喧伝されると、東寿会入会者は漸増の一途をたどり(平成7年度末現在2587名)、実習体は「献体」のみで確保できるようになった。
一方、琉球大学の解剖体不足は深刻な状態にあった。平成元年4月の第12回東寿会・白菊会東京医大支部総会の席上、東寿会に琉球大学「でいご会」の協力会員制を設けることが満場一致で承認された。「でいご会」協力会員は102名(平成7年度末現在)、東寿会第2代理事長の林純茂氏は琉球大学で平成9年に解剖に付される予定である。
本学の献体の歴史は、学内外を問わず多くの方々が医学教育のために一致協力して歩んでこられた輝かしい道のりで、本学の歴史に銘記されるべきものである。

 

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