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千葉大学における献体

 

千葉大学医学部

 

本学における解剖学教育用の遺体は、戦前より千葉県および近隣の東京都、茨城県、埼玉県、神奈川県などの市町村長よりの交付によりまかなわれていた。当時の解剖学教授は、主要な施設等を対象として遺体寄贈の依頼を適宜行っていたと聞く。
昭和36年に福山右門教授が本学に着任して以来、同教授と教員および遺体担当の事務官各一名が、県下の施設を官用車で訪問し、遺体提供の依頼を継続して行うようになった。昭和41年には,斎藤利一氏による白菊会千葉支部の結成があり、この頃より解剖学の教授(福山、大谷、永野、嶋田の各教授)を中心として、教員、事務官(松井仁三郎氏ほか)、それに白菊会から斎藤支部長と高橋理事が加わり、3班にわかれ、毎年夏から秋にかけて各班とも1日に10ヵ所前後、福祉事務所や老人ホームを車で巡回訪問してキャンペーンにあたるようになった。当時は県下の道路事晴は悪く、毎日挨まみれになりながらも、延べ7-8日をかけて遺体提供について各方面に理解していただくことにつとめた。
その後、全国的に解剖体の不足が社会問題となってきた。また昭和50年代には医師不足の解消のため既存の大学は学生数を増やし、また新設医大が増えて、ますます遺体の不足は深刻になった。昭和51年には、厚生省から各都道府県知事に「大学への死体交付について」の通知がなされた。昭和57年には、本学では白菊会千葉支部が千葉白菊会へ改組され、斎藤支部長が会長となり、同氏は献体運動に専念するようになった。また同年「献体者への文部大臣の感謝状贈呈」が行われるようになり、また昭和58年には「献体法」の制定があった。これらは相乗効果をあげ、千葉白菊会の献体登録は急増するとともに、解剖体に占める献体の比率は次第に増加してきた。一方、市町村長よりの遺体の交付はほとんどなくなってきたので、長年続いていた遺体提供先訪問キャンペーンは昭和61年を最後に打ち切った。現在では解剖体のほぼ100%は篤志献体である。
幸いにも本学では少なくとも昭和30年代以降は、学生2人でほぼ一遺体の割合で解剖を行うことができた。現在では献体数の増加により、遺骨の返還が長期化する傾向にある。最近、千葉白菊会では予備登録制を取り入れて、入会希望者にはまず予備会員になることをお願いし、暫く献体の理念について熟考していただく期間を設けている。そして年に2-3回、正会員の補充を行い、確実な成願者を確保することに務めている。
平成七年斎藤氏の逝去されたあと、千葉白菊会会長には山内章吉氏が就任し、さらに白菊会の献体業務を担当するための非常勤職員の採用が大学側より認められ、森川晶夫理事がその職務についている。
(嶋田 裕)

 

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