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埼玉医科大学の献体運動

 

埼玉医科大学

 

昭和47年4月、埼玉県入間郡毛呂山町に毛呂病院(故丸木清美理事長)を母体とする埼玉医科大学が誕生した。そして、大学設立時より第一解剖学教室(故金子丑之助名誉教授、現金子勝治教授)が献体運動を担当している。埼玉医科大学として、初めてのご遺体を受納することができたのは、解剖学の講義・実習もいまだおこなわれていない昭和47年の9月であった。このときのことは、現在においても我々スタッフの胸に、献体者と御遺族の崇高なお気持と、我々の運動が理解をいただけたことへの感謝の気持として深く刻みこまれている。大学が創立されたころは、全国的にも解剖用遺体の不足が深刻で、本学においても埼玉県内の諸施設だけではなく、埼玉医科大学の父兄にも協力をお願いした。以後、献体運動も順調に進み、現在では埼玉医科大学に献体された総数は1,234体、登録者も794名に達している。
言うまでもなく、医学発展の基は、全てそのために捧げられた解剖体諸霊と、これに深いご理解とご協力を示された御遺族の賜である。大学を挙げてこれらに対する深甚な謝意を表するために、昭和47年10月には献体された方々のために第一回解剖体慰霊祭が埼玉県入間郡毛呂山町の妙玄寺にて厳粛に執り行われた。昨年(平成7年)をもって第23回を数えるに至った。さらに、昭和49年には、妙玄寺境内に鉄筋コンクリート方形造り銅板葺の埼玉医科大学解剖体の慰霊堂が仏舎利殿に象って建立された。正面扁額の文字は故栗原浩初代理事長の筆に成り、内陣には本尊として、故大内青甫の作に成る青銅観世音菩薩像を安置し、また壁面には故関根真一の書による般若心経字経の額が掲げられている。これにより、医学の進展のために捧げられた御霊はもとより、今後も捧げられるであろう数多くの諸精霊の崇高な遺徳を顕賞する拠り所を持っことができたわけである。
本学における献体運動は多くの教職員の協力もあり、内外にも理解され献体希望者も確実に増加し、大学創設当初とは隔世の感がある。献体者には本学理事、教職員さらには学生の父兄も含まれ、また学生の中から献体を希望する者もあるなど、本学の献体運動も地道ではあるが着実に進展している。

 

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