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自治医科大学に於ける献体25年

 

自治医科大学

 

本年自治医科大学は開学25周年を迎え、4半世紀を経た大学となりました。現在の安定した献体状況を迎えられているのも、開学当初、全くのゼロからスタートした間藤先生(現、名誉教授)の御努力、御発想なしには、考えられないと云っても過言ではありません。まずその当初の状況を、種々の記録から、或いは小生が直接おききした事柄を混じえ紹介したいと思います。
昭和47年7月アメリカ留学から帰国された間藤先生は、建設途上にある自治医科大学を訪れ、中尾学長から、自治医大カリキュラムの御説明を受け、解剖学実習が、昭和49年度に2度、引き続き50年度の実習が組まれており、連続3学年の実習が果たして実現可能であるか、非常に危機感を持たれたそうです。即ち、解剖学教育に協力して下さる事務組織、地域の献体に対する理解度、建設途上にある本館が完成すれば、無駄(?)になってしまう安置場所建設等、問題が山積しておりました。しかし、同先生は群馬大学医学部在任中の昭和37年頃既に“献体のてびき”を作成し、その後要望に応じて大内先生を経て、山田致知先生にお送りしたというお話をされており、それなりの御経験を有していたようでした。
中尾学長をはじめとする大学事務組織の御理解により仮設の安置場所が建設され、地元栃木県を始め、北関東一円に及ぶ関係諸機関への協力依頼が効を奏し、本館完成前に献体実行者の数も増えて来ました。加えて、解剖学実習終了後の御霊の安置場建設場所、慰霊祭を執り行う場所も、宗教上の考慮もあったのですが近隣の名刹下野薬師寺別院龍興寺と決定し、従来、日本の医科大学、医学部では行われていなかったカリキュラムに沿った解剖学、解剖学実習がスタート出来たと伺っております。
「組織は小さくても良いから会員とのコミュニケーションのとれた会」をとの間藤先生のお考えと、近隣石橋町に在住の伊藤光氏の申し出により、当大学独自の献体者の会である「松韻会」が昭和51年に発足しました。会の名称は、大学キャンパスにある松林をイメージして付けられたもので,発会総会では50名余の会員が、現在では1300名となっています。大学で開かれる年一回の総会には約250名程の会員が集まり、大学関係者、卒業生等の口演、会務報告、質疑応答などで充実した一日を過ごされていきます。更に総会に出席出来なかった献体者との親睦を計る為、県内を北部、中部,南部に分け、当該地区に於ける懇親会を行うと共に、年2〜3回会報「しょういん」の発行により、会員と大学、会員相互のコミュニケーションをはかっています。
慰霊祭は、私共系統解剖学と病理解剖、法医解剖の為にお身体をささげられた方々を合同で、学長を祭主として、下野薬師寺別院龍興寺で、近藤俊雄大僧正を導師として執り行われています。御遺族、来賓、大学側からは、自治医科大学理事長を始め関係教室教員、更に学生を加え、約500名程の参加となっております。献体登録をして下さる方々の動機、御気持、御意向は、実に様々であると思えますが、我々、解剖学教育に携わる者として、立派な社会生活を営んで来られた方々のご遺志を、精神的にも、肉体的にも未熟な学生に、如何にして伝えるか、工夫して行かなければならないと考えています。
(解剖学第二講座教授 大河原重雄)

 

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