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岩手の献体32年

 

岩手医科大学

 

岩手医科大学における篤志献体第一号は、岩手医科大学所属の白菊会会員として登録され、昭和40年2月26日に亡くなって献体された沢田ミキさんであった。沢田さんの献体が新聞に報道されたことがきっかけとなり、県内各地からたくさんの問い合わせが大学に寄せられ、昭和40年暮れまでに20名を越える方が登録された。
その後約7年が経過し、所属会員が100名に近づいた昭和47年夏頃から、解剖学教室の浦良治教授と曽根潮児助教授、学務課の佐藤幸郎係長が中心となり、篠田糺学長を始めとする大学当局の全面的な協力のもとに独自の会の発足にむけての努力が傾けられた。この努力が実を結び、昭和47年11月3日に87名の会員をもって白菊会から独立し、全国で17番目の献体の会として白寿会が発足した。会の名称は、会員の皆が健康に留意して白寿を迎えるまで長生きしようという主旨でつけられたと聞いている。佐藤正春理事長、長沢健一郎副理事長の他に8人の理事と2人の監事を置く理事会も同時に発足した。
会の事務局は、岩手医科大学学務課に置かれ、学務課の職員が事務を担当し、会の運営は大学からの補助金によって賄われた。理事会は年に1−2回、総会は年1回開かれ、会報(白寿会報)が年1−2回発行された。この他の事業として、大学の解剖学教室の職員と事務職員によって行われる岩手県全域と八戸地区の市町村役場と老人ホーム等の施設訪問に協力し、献体運動と白寿会のPRを毎年行った。この結果、会員数は、毎年20−40名ずつ増え、昭和50年度末には188名、55年度末には350名となった。
50年代後半からは、58年の「医学および歯学のための献体に関する法律」の制定に象徴される献体運動の高まりとともに会員数は毎年40−60名の増加となり、昭和60年度末には626名を数えた。その後は毎年70名前後の増加で安定しており、平成7年度末で1,278名、うち生存会員832名となっている。一方、会員の献体数も、昭和50年代前半までは年間10名前後で総遺体受け入れ数に占める割合が20%程度であったのが、50年代後半には20名弱で30−40%、60年代前半には20−30名で50%を越え、平成7年度は34名で約70%となった。会員の全献体数は平成7年度末までに446名である。現在医学部と歯学部を併せて学生定員160名であり、年間に45−50体を解剖しているが、そのほぼ7割が白寿会員による篤志献体である。
最後に慰霊祭と納骨堂について付言しておく。慰霊祭は、以前には解剖体祭とよばれ、病理解剖への献体者の慰霊と一緒に、昭和9年11月24日に第1回が盛岡市北山の報恩寺で挙行され、同時に解剖体精霊塔の建碑式も行われた。以後ほぼ毎年秋に、昭和33年からは解剖体慰霊祭と名称を改めて初夏に開催されてきた。平成2年6月に挙行された第53回からは無宗教献花方式により大学の講堂で行われている。納骨堂は、昭和12年に報恩寺の解剖体精霊塔脇に建立され、引き取り手の無い遺骨を納めてきたが、手狭になったことと老朽化により、会員の寄付などの浄財を基に作られた白寿会基金から支出して平成7年秋に改築された。(堀口正治)

 

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