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お祝いとお礼のことば

 

篤志解剖全国連合会初代会長 久野庄太郎

 

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昨年の4月4日、日本解剖学会100周年記念式典にあたり、皇太子殿下同妃殿下をお迎えして、皇太子殿下より、日本の解剖学ひいては医学の発展の陰には献体者の尊い協力があった。とおことばをいただいたことに感激しております。おことばどおり、日本の解剖・医学の発展は今昔の感があります。本日発表された日本人の平均寿命は、男76.36女82.84歳という世界一を10年以上続けていることは、衛生思想の普及と医学の進歩に負うところが大きいと思います。人間の幸せは、平和で健康で長生きであることが最高であると思います。そのために日夜努力されている人々に心から感謝申し上げるものです。
私は1900年、農家の長男として生まれ、当年とって96歳です。40歳半ばまでは食糧増産一筋に努力しました。
戦後、昭和21年昭和天皇の地方御巡幸に際し、はからずも農業について御進講申し上げる光栄に浴しました。その時、陛下より直接「農業のことについては今後も頼みます。」とのおことばを賜り感激し、おことばに報いるべく、知多半島に水を引き食糧増産をする愛知用水建設に必死の努力をしました。お陰で発願13年にして用水は完成し、食糧増産はもとより、工業用水として日本経済発展の起爆剤となり、飲料水は地域の人を潤すことができました。
しかし、工事による犠牲者が57名も出てしまい、私が用水工事を願わなければ、この人達は死なずに済んだのにと、事故の度に現場に駈けつけて葬い、戒名をしるし朝夕お経をあげ、用水各所の土を蒐めて焼いた「施無畏」の観音像500体を関係者に配っても心は休まらず、昭和36年の夏の或る日、名大学長勝沼精藏先生を訪れ、心境を語り、いっそ、人柱になろうかと訴えた。先生は「死ぬことはないよ。今は医学の教育研究の遺体が足りないんだ、私は頭は東大、体は名大に寄付することにしている。」と言われた。
私もこれだと決心して、妻や同志に語り賛同を得て、ようやく心の安らぎを得ました。同志の入会で年内に265名となり、不老会を結成をすることができました。
不老会結成10年昭和45年には会員2,100名となり、名大・名市大・愛知学院に献体できるようになりました。当時、全国的には、この種の団体が12、会員は4,500名であると聞き、この運動を全国に拡げようと呼びかけ、同年5月30日名古屋に、東京、金沢、横浜、京都、大阪、岡山、徳島の代表者に集まって貰って、熱心に討議し、篤志解剖全国連合会を作ろうということになり、続いて6月19日、7月4日と東京で会を重ね、文部省の担当者にも出ていただき7月20日ようやく本会が成立したと記憶しております。本会の今後ますますの発展を祈ってごあいさつといたします。

 

 

 

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