序
財団法人 日本篤志献体協会 理事長 内野 滋雄 昨年は、日本解剖学会創立100周年を記念し多くの事業が成され、篤志解剖全国連合会も節目である第25回総会を開催、それらを機に献体運動の記録を残しておこうとの気運が昂まってきた。 献体とは自分の意志による遺体提供であり、日本の第1号は明治2年、34歳の女性美幾女である。又、篤志解剖の第2号から第4号までは明治3年のうちに記録されているという。戦前から篤志解剖を申し出ているケースは多々あったが、単発的なものであり、運動という程のものではなかった。 戦後,解剖体の入手が極めて困難になり、昭和23年には有美会、27年には余光会、30年には白菊会が篤志家団体として誕生した。これらはあくまで解剖体の不足を解消し、医学教育の危機といわれた時代に対応して生まれたものである。従って、献体する方も受ける方にも迷いがあり、利己的な考えを持つ人も少なくなかったと思われる。そのため、献体が無条件無報酬の篤志行為であり、純粋なボランティア行為であるという正しい献体の理念を普及しようという目的から篤志解剖全国連合会が生まれ、更にその経済的支援のために財団法人日本篤志献体協会が生まれた。 その後、献体が世に認知され、法制化、文部大臣の感謝状、法制化など一連の成果が生じるようになる。この間の創世期を乗り越えてきた人々には筆舌に尽くし難い苦労があった。その足跡は今でなければ残せない。忘れ去られてしまう危惧がある。そこにこの「日本の献体40年」の出版の意義がある。 献体運動は昭和30年代に始まり、昭和46年の篤志解剖全国連合会の発足で加速し、昭和57年の法制化で成熟期を迎え、当初の解剖体不足はほぼ解消された。そして今や大きな転換期を迎えている。医の倫理教育の柱でもあり、医療現場の変化によるコメディカルの解剖学教育のあり方など、多くの問題が献体運動にも投げかけられてきている。時代は常に流れている。献体運動も急流の中にあると言って過言ではない。しかし、初めから一貫して存在するものは無条件無報酬の精神である。これが人の心を打つ。日本解剖学会の100周年記念式典に於て、皇太子殿下から「医学の教育研究のため尊い体を献体された人々の崇高なお気持ちに敬意を表する」という意味のお言葉をいただいた。これは多くの献体者にとってどれほど大きな喜びであったであろうか。計り知れないものがある。 どのような時代となっても、医学・歯学教育の基礎は解剖学であり、人体解剖学実習を欠かすことはできないし、倫理面でも良医の育成にこの献体運動が果たす役割は大きい。 この「日本の献体40年」が、新しい時代の献体運動の基盤となることを願うものである。
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