
な災害だと決めると、とことん災害を解剖して行こうというもので、関係者もすべてのことを語らなければならないし、それを罪にしないやり方で、災害そのものを明らかにしようとしている。災害を国民の大切な財産としようという発想である。その時、丁度少し前に起こったブリックスボローというコンビナートの爆発の現場を訪れたが、その後、立派な災害報告書が出された。日本の事故調査報告は事故原因を追求し、誰が罪せられるのかを決める作業はしてあるが、事故そのものの本質を把える調査は不十分である。何のために災害調査が必要かを十分議論し、これからの消防のあるべき方向を見付けるために、災害そのものを、もっと大切に扱い十分な災害調査報告書を作成する必要がある。
(五)広島市営基町高層アパート火災
最近発生した高層建築火災であるが、十分な災害調査を行なえば、建物火災の本質的問題がみえてくる火災事例なので、このことについて述べたい。
一九九六年一〇月二八日二時二七分頃、広島市基町にある市営高層アパートの第一八アパートの六コアの九階九六五号室から火災が始まり、ベランダ側のアクリル板に火が付きながら、最上階の二〇階までまたたく間に燃え拡がり、耐火高層建築物の防火対策に疑問が持たれた。近隣のアパート在住者が撮影したホームビデオの映像を見ると、ベランダ側のアクリル版を伝わって、最上階が炎に包まれたのは二時五〇分過ぎで、九階から二〇階まで二五分ぐらいで燃え上がっている。
火災は九六五号室のベランダ側の六畳間にあったテレビの近くで「ボン」という音がしてテレビが消え、火災が始まったという証言がある。現在のところ火災の原因がテレビかテレビの裏のあたりの何かか特定されていない。
その後どのような初期消火活動が行われたか確かめることはできなかったが、火の拡大が速く、九六五号室の内部火災がベランダ側のガラスを破りベランダに置いてあった物や、ベランダの転落防護のためのアクリル板に火が着き、激しく燃え始めたのが二時四一分頃である。その時、張り出した形になった隣の九六〇号室の鉄板のカーテンウォール壁の隙間から吹き出している煙にすでに火が付いて燃えているのが見えていた。九六〇号室は煙害は受けたが火災にはならなかった部屋で、翌日現地調査をした時には、すでに明かりがついており居住している状態であった。
消防に火災の通報が入ったのは二時三四分で、推定出火時間から七分経過しており、その数分後に現場に到着しているが(およそ九分後という証言)、すでに出火室の上部にある部屋には、最上階の二〇階まで煙が上がってきており、一五六七号室の寝たきりの老人一名を除いて、ほとんどの部屋の住民は自力で避難し、火災室から離れたところにあるエレベーターや非常階段を使って避難している。
この建物は、二階ごとに廊下がありエレベーターの着床は偶数階だけで、奇数階の人はせまい階段で偶数階の廊下に降りなければならず、避難が困難だったのは奇数階の人達に多い、しかしながら、廊下の巾が広く取ってあり、外気に面していたことや、エレベーターや非常階段の位置が安全なところにあったため、多くの人達が高齢で避難能力が低いにもかかわらず死者が出ていない。救助の必要だった寝たきりの老人の部屋は一五六七号室で、出火室の列から二列離れたところにある部屋で煙の被害だけであったが、せまい階段を上った部屋だったので避難は大変であった。隣の一五六六号室も出火宅の直上ではないが火災が蔵の列に移った最初の部屋で、そこから上部に二列燃え上がっている。
結果的に九階から二〇階の間で一六戸が全焼し、部分焼、水損、煙害含めて四〇戸という数字が出ているが、煙で汚染され大々的に掃除しなければならない部屋の数は、この数よりかなり多い筈である。ビデオの映像を注意深く見ると、二時四二分頃はまだ九階の九六五号室しか炎が見えていないが、各部屋に充満した煙は、□六五室の列の妻壁(階段ホール側)の鉄板

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