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これらは、船舶輸出には直接の関係はないが、対応のいかんによっては、将来に大きな影響を及ぼすこともあり得るので、輸出対策の一つとして、これらの問題の解決が焦眉の急であると思われる。
(C)オーストラリアに対する歴史的、経済的なつながり
オーストラリア大陸の存在は、既に16世紀に知られていたが、記録に現れたのは1606年3月オランダ船がニューギニア島探検の際、オーストラリア東北端のヨーク半島西岸沿いに南下していたのが最も古い。
その後、1770年に英国人探検家ジェイムズ・クックが、ニュージーランド探検後オーストラリア東岸に赴き、4月29日、現在のシドニー付近のボタニー湾に上陸し、更に東海岸地方の測量を行った後、現在のニュー・サウス・ウェールズ州およびクインズランド州の一帯を英国領と宣言した。
その18年後、1788年1月26日(現在、オーストラリアの祭日)、英国のアーサー・フィリップ海軍大佐が1,030名の部下と流刑囚および家畜を引き連れて、現在のシドニー付近へ上陸したのが最初の移民団である。
1900年に至り、英国議会によりオーストラリア連邦憲法が制定され、翌1901年から実施されて、ニュー・サウス・ウェールズ、ビクトリア、クインズランド、南オーストラリア、西オーストラリア、タスマニアの6州から成るオーストラリア連邦が成立した。
1911年には、キャンベラに首都特別地域が設けられ、また南オーストラリア州に所属の北部特別地域が連邦直轄地域となった。
1931年に、英国議会のウェストミンスター法令の制定によって、事実上の独立国となった。
オーストラリアは、全人口(約1,653万人)の90%以上が英連邦系で占めているので、英連邦構成国のうち、カナダ、ニュージーランドとならんで最も英国と密接な国であり、従来その外交政策は英国および英連邦諸国との緊密な協力を目指してきたが、英国の影響の衰退に伴って、対米協調路線をとると共にアジア・太平洋地域の一国としての認識を強めており、アジアとくに日本、および東南アジ

 

 

 

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