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太平洋のハワイキ(Hawaiki)と称する島から、カヌーで移住して来たといわれ、ハワイキは現在のSociety Islandsであるといわれている。
17,8世紀頃には、このマオリ人が北島と南島に約10万ないし20万人いたと推定されている。この両島が白人によって初めて発見されたのは1642年である。
すなわち、バタビアのオランダ東インド会社が派遣したタスマン(Abel Tasman)は、1642年オーストラリアのタスマニア島を発見した後、同年12月13日ニュージーランドの南島を発見した。このタスマンの発見によって、この地はオランダの州名ZeelandをとってNieuw Zeelandとして発表され、これが英語化してNewZealandとなったのが、この国の名称の起源である。
しかし、このニュージーランドを詳細に世界に紹介したのは、英国人航海士のキャプテン・クック(Capt.James Cook)であり、彼は1769年10月、タヒチ島からニュージーランドに到着し、南北両島を一周して各地のマオリ人と接触した。
その後、18世紀末から19世紀初頭にかけて、ニュージーランドと白人、特に英国人との接触が著しく増加した。
1839年には、英国政府の命により、キャプテン・ホブソン(オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の副総督)が北島オークランド北方のワイタンギに派遣され、1840年2月6日マオリの酋長とワイタンギ条約を調印した。この条約により、マオリはその主権を英国に譲渡し、代りに英国市民と同様の保護を与えられることになった。
現在、2月6目はWaitangi Dayと呼ばれ、ニュージーランドの祭日となっている。
1840年の初めて英国からの集団移民がニコルソン港(現在のウェリントン)に上陸し、それ以来、北島および南島の各地に英国からの移民が急激に増加した。
1841年5月3日、英国政府はニュージーランドをオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の属領としてではなく、独立した植民地とし、ホブソンが初代総督となって、ニュージーランド政府の基礎が確立された。
1852年には憲法が公布され、1854年に最初の議会がオークランドで開催され、首府をオークランドに置いた。

 

 

 

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