
岩松了作品の魅力/大笹吉雄
岩松了は劇作家を目指して劇作家になったのではないという。たまたま司会を頼まれた座談会で、岩松了はこういっている。
「ぼくはほんとに演劇を志したわけでも何でもなくて、田舎から出てきて、東京という大きな街でなんか若者らしいことをしたいなと思って、70年過ぎたころだから学生運動なんかいいんじゃないかなと思ってたら、現実の学生運動家たちはもうすごくしょぼくれて見えたんですよ。で、同じ学年に演劇部のやつがいて、『うーん、これは都会的かもしれないな』と思ってはじめたのが演劇なんですね。
で、学生のまま自由劇場の研究生になって、座員になったんだけど半年ぐらいでやめてしまったんです。基本的に『好きじゃないなあ』と思いながらずっと芝居をやってきてるところがあるんです。それから東京乾電池という劇団で演出みたいなことをやってたんですけども、あそこは役者でつくる芝居だから、べつにそんなに重要じゃないわけですよ、ぼくの立場は。で、もう即興も飽きだし、とにかくこれ一本脚本を書いたら芝居はやめようと思って書いたのが『お茶と説教』なんですよ。それが34のとき。そしたら一部の人にけっこうほめられちゃったんで、じゃあまた書いてみようかとやってるうちに岸田戯曲賞をもらったのが4作目の『蒲団と達磨』なんです。役者になりたくて自由劇場に入ったのに、だから今は作家、演出家みたいな立場のほうに曲がってしまったなという感じですね」(地人会『夜中に起きているのは』上演パンフレット「だからいま書くこんな風に」)
岩松了一人に限らず、こういう風に現在につながる人生のスタートを切った人も少なくないに違いない。かくいうわたしもその一人だが、一本でやめようと思って書いたという『お茶と説教』は、今から見ると、岩松了の世界をすでに鮮やかに示している。東京乾電池による初演は、1986年の10月だった。
町の小さな不動産屋が舞台。そこの社長と女事務員、出物の店を探している女性の客と、近くの泌尿器科の医院の医者と、向かいのスナックのマスターが主要な登場人物で、時間は昼休み時。
医者とマスターは昼休みにいつもここに来ていて、ある程度は店の事情や商売内容にも通じている。その医者が客を相手に、男性機能について話しているのが幕開きである。
観客にとっては意外な話題がいきなりという感じのはじまり方は岩松戯曲の特色の一つで、要するにこれはわれわれが舞台を目にする前から、ある出来ごとが進行していることをあらわしている。
換言すれば、われわれの日常がまさにそうだということだが、こういう時空の切り取り方が、いわば古典的な戯曲の約束とは違っている。こちらは観客がドラマにすんなり入れるように、時代や場所、その場の様子、基本的な人間関係など、いろいろな意味での状況説明が冒頭に置かれるのが普通である。形でいえば起承転結。
いわば「起」が省略されている岩松了の戯曲の場合、不動産屋になぜ医者がいて客の相手をしているのか、しばらく舞台が進んでいかないとわからない。
もう一度いい換えれば、岩松了は起承転結、いうところの芝居仕立てを意識的に排除して、われわれが日常的に身を置いている時空をそのままそこにほうり出す。われわれは連続的な時間の流れの中にいて、はじまりがあって中があり、終わりがあるというような区切りを意識しながら生きているというわけではない。そしてその生きている連続的な時間、それゆえに必然的に起きる個人々々の状況こそが、劇的なるものを形成していくと岩松了は考える。
起承転結がきちっとあれば、見た舞台がどういう物語であったかをすぐに口にすることが出来る。が、現象的にはその形を取らない岩松了の作品は、どういう話であったかを物語るのがむずかしい。これがもう一つの岩松作品の特色である。
物語ることをむずかしくしているまたもう一つの要因は、状況を背負っている個人々々が、それこそ一人で一本のドラマが出来るほど、生きている上でのしがらみをたくさん持っていることである。逆にいうと、だからこそある状況が生まれる。
前掲の『お茶と説教』の、ごく普通のといっていい人物がどういうしがらみを持っているか、それをいちいちいおうとすればたちまちこのスペースでは足らなくなるが、こういう特色が重なって、美しくも切ないメロディーを奏でたのが、93年の『鳩を飼う姉妹』と『こわれゆく男』だった。この2作品で岩松了は紀伊国屋演劇賞を受賞したが、作りものを意識させない人生の味わいと感触を、豊かなリアリティーとともに提示するのが、岩松了作品の魅力なのだととりあえずいっておく。
〈演劇評論家〉
東京乾電池公演「お茶と説教」作・演出=岩松了
(左から)小形雄二・柄本明・岩松了・広岡由里子

東京乾電池公演「蒲団と達磨」作・演出=岩松了
(左から)渡辺敦・柄本明・三股亜由美・広岡由里子
岩松了・蛭子能収・大久保了

演劇集団円公演「鳩を飼う姉妹」演出=國峰眞
(左から)仲谷昇・平木久子

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