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21世紀に向けての社会生活と医療について

三重県・榊原白鳳病院 副院長 播磨晃宏

要約

20世紀後半は、日常生活そのものの考え方や行動、医療すべてが理論的、機械的である。特に吾々医療者は、医療の原点に立ちかえり、一日でも長く人間らしく生きてもらう為の反省、援助が必要と思われる。便利さの裏には落し穴があり、逆に不便さの多い僻地にこそ人間らしく生きる為に必要な自然がある。

自然を愛し、動植物との共同生活ができ、人間としてあたりまえの事ができれば、そこはこの世の花園となり天国となるであろう。すべての人が、心やさしく、温たかく、謙虚な気持で生きていただきたい。

僻地医療を主休としたテーマであるが、僻地での利点、欠点を書く前に、都会の日常生活とか医療を対象に書く事が大切だと思われる。
現代20世紀後半の医療を考えてみると、大学病院や市中総含病院では、高価な薬、注射や検査、そして高度最先端技術を用いて、見掛け上は立派で理論的、機械的に施行されている。高度医療そのものが医学としての科学を基礎として、立派な医療が極くあたりまえのように施行されている。

大学病院の医療の中心は、新しい学問の研究と教育指導が主体に行なわれている。大学での医療は、医師本来の心得として持つべき倫理感が少なく、ロボットの医師がロボットの患者さんを診察するように、計算された検査中心の医療が行なわれている。医師免許証をもらえば、医師の自由な仕事場として患者自身を心ある人間として扱っていないことに気付いていない。それは、医師となった時の心構えが、昔と違って計算された社会の中での一人の仕事人になってしまっているからである。

昔には、聖職と呼ばれた職業の人達がおられた。どのような人々がその職業についておられるかと言うと、学校の先生、宗教家、法律家、そして医師などである。これらの職業につく人は、基本的には人の人生にかかわる仕事をしていたのである。それらの人々のあるべき人間像が、社会の変化と共に変ってしまった。

以上のように、聖職として社会の人々から尊敬された人々も、一般の社会の中で働く人々も、本来あるべき姿をどこかへ忘れてきたような気がする。人という字の如く、人間は互いに支え合い助け合って生きなければならない。貧しい生活をしていた頃には、幾らお金持でも賛沢な生活はできなかった。その頃の日常生活は、社会に住む人々が、同じような生活環境の中で共に生きてきた。同じ条件で、同じような境遇で生活しているので、互いにがまんして手をつないで共同生活をしないと生きて行けなかったのである。この頃の生活は、すべてが手造りで、大家族の中で互いに役割分担をして、親兄弟を大切にして生きてきた。他人である隣組の人達も、仲間として共に食事をしたりお掃除をしてきた。現代社会の中で、立派な家に住み、立派な冷暖房器、自家用車に乗り、食事はおいしい食物を中心に賛沢で我儘に生きている。
その我儘な生活をすることにより、あらゆる病気

 

 

 

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